SOU・SOU日記 / スタッフがお届けする日記
“窓 / 李 瀟瀟”
■実家の窓
旧正月、実家の窓に大きな赤い「福」の字を貼る。
「窓花」という切り紙。
一年が終わるころには色も褪せ、花のように枯れてゆき、
そしてまた次の年の切り紙の型として使われる。
この作業はいつも祖父がやっている。
二、三年前から85歳を超えた祖父は手の震えで鋏が持ちづらくなってきて、
「福」の貼替えもそれっきり。
来年また作ろうかなと最近言い出したそうです。
■台湾の窓
十月末の台南旅行で出会った「窗」。
中でも、昔ながらの面影を残すレトロな鉄製の窓「鐵窗」が好き。
今も時おり街角で見ることができます。
「鐵窗」は、懐かしい存在でありながら、
一つ一つ個性的でどれも新鮮に感じられるデザインばかり。
今回「昔の台南」が味わえる古民家宿に二泊した。
朝起きると、「鐵窗」ごしに街の声が聞こえてくる。
一日が始まる、という活気の渦が街の中からわ~っと湧いてきて、
窓を開けると、生暖かくきれいな風がすっと入ってきていた。
まるで森が目覚めるように、海が朝の光を受けて輝くように、
人の力によって街が目覚めた。
少し前に、東京のホテルに泊まった朝を思い出した。
窓を開けると、たくさんの人がすごい勢いで歩いていく。
みな通勤にふさわしい服を着ていて、颯爽とした感じだが、
どこか妙に静かだった。いや、怖いくらいしんとしていた。
ビルは木で、人にとって森なんだと誰かが言った。
だとしたら、東京の森は南国の街ほど元気がないんだなあと思う。
森の木が朝日を受けて力いっぱい力を発するように、
生き返ると良いなあと思う。
■京都の窓
「窓あけて窓いっぱいの春」
種田山頭火が詠んだ句。
私は京都の窓から見える景色が好きだ。
決して雄大な眺めであるわけでもなく、壮麗な景観でもない。
四季折々の自然の静けさと豊かな表情がそこにある。
わたしが生きていると感じさせてくれるのだ。
京都は遠いなあと先日母が電話で呟いた。
「遠い」・・・か。
「遠く」に何があるのだろうと、
子供のころからずっと考えていた。
「遠く」って、どこまでなのか。
その「遠く」に行きたいのか、行けるかのか、行っていいのか。
「遠く」の人たちと、つきあうか、戦うのか。
わたしは「遠く」を受けいれられるのか。ずっと考えてきた。
それは「遠く」への憧憬だったかもしれない。
未来にどういう楽しみが待っているのか、
それを想像しながら過ごしている時間は、
全て、その楽しみに含まれていると、
「遠い」京都に来たわたしは思う。
そして、今していることが先の嬉しいことにつながっていると思うと、
今の歩みがそのまま、楽しみにもなるのだろう。
■悟りの窓、迷いの窓
「悟りの窓」と「迷いの窓」は、京都に二ヶ所があると聞いて訪れてみた。
鷹峯「源光庵」と雲龍院(泉涌寺別院)。
「迷いの窓」は四角い。
この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表している。
「悟りの窓」は丸い形で、「禅と円通」の心を表現している。
眺めるポイントは右の迷いの窓の前に座り、自分の姿を見て(自問自答し)、自我を見つめる。
そして、左の悟りの窓の前に行き、純粋な本来の自分の姿に変わるそうだ。
雲龍院には幻想的な色紙の窓もあった。
「蓮華の間」の障子に4つの窓がり、それぞれの窓に椿、灯籠、楓、松の違った景色が映し出される。
その日、「悟りの窓」と「迷いの窓」の前に座って、「窓」について考えた。
本来「採光」と「換気」の「窓」は、
デザインという美的観点からの配慮もなされつつ、
やがて人間の心の領域とも深く関わるような存在になっている。
「窓」の発達の過程の中で、人はいつの間にやら、
希望と期待に朝の窓を開け、
失意と絶望のうちに夕べの窓を閉めたりするようになったのだ。
「どういう日だったか?」と聞かれると、
「イヤな一日だった」と答える人もいる。
不思議なことでわたしは、
「今日はイヤな日だった」と思うことがないようだ。
心配なことも、気に病んでいることもあるにはあるが、
それを「イヤな一日だった」とまとめることがないなあ。
一日に、いいもわるいもない。
終えられたらよしとするだけかもしれない。
良いだの悪いだの言おうが言うまいが、
もう済んでしまったことで、つまり、
終わってよかったぜ(ふ~っ)と。
この日々の終わらせ方、なんだかよかったなあと思っている。
2 件のコメント
先日、雲龍院を訪れました。迷いの窓を見たあとの、悟りの窓のあの真ん丸から見える景色は本当に不思議なくらい爽快でした。
念願の走り大黒様にもお会いできました。
仕事から帰ると必ず我が家の窓を開けます。今日はきつかったとか、セーフだったとか、そんなことを思いながら主人のお手製の庭を眺めます。そして、また京都に行けることを楽しみにしながら次の日を迎えます。早く行きたいなーと。
またおじゃまします。
後藤美希様
いつもありがとうございます。
なんとお手製の庭!!
ご自宅の窓が切り取る「今日」の景色を眺めながら、ほっと一息つくという
後藤様の一日を終わらせ方は素敵すぎます!
来年の春に京都にお越しの際は青楓が美しい季節になりますよね。
ぜひ、もう一方の「悟りの窓」と「迷いの窓」(鷹峯「源光庵」)へ足を運んでくださいませ。
またのご来店も楽しみにお待ちいたしております。