一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(39)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
SOU・SOU足袋、SOU・SOU伊勢木綿、SOU・SOUしつらいを作った時、どさくさでSOU・SOU作務衣というお店を作った。
どさくさというのは、当時やっていたストリートカジュアルのセレクトショップのリニューアルを急遽変更したからだ。
そのままリニューアルしたとしても、そのジャンルの服の将来性は暗いと思い立ち、それをスタッフに相談したところ、図面を作るギリギリのところで「この先はこの店もSOU・SOUにした方が良いのではないかと思います」と言ってきたのだった。
そのスタッフはスケーターでジーンズをケツではくタイプだったので、SOU・SOU事業部についてはほぼ興味が無かったと思うが、それでもそんな事を言ってくれたおかげでセレクトショップを閉めてSOU・SOU作務衣というお店をオープンした。
ここにはSOU・SOUの衣類全般を男性用・女性用ともに扱った。
その半ケツスタッフと当時足袋店に勤務していた石田明日香(現 着衣店長)をこの店の担当にした。
本当は「着るもの」ならばSOU・SOU着物にすればいいのだが、着物というともう完全に国内で堅苦しいイメージが出来上がっているので、作務衣という店名にした。
作務衣とは平たく言うとワークウェアになる。
ストリートカジュアルからスライドさせたスタッフもいるから、日本のワークウェアである作務衣をファッションとして提案するお店がいいんじゃないかと思ったのだ。
そんな店、他に無いし。
そして、このお店にはあるストーリー設定をしていた。
「ある老舗呉服屋5代目の息子が『僕は家業を継ぎたくない』と言って、大学卒業後アメリカに渡った。
図らずもそこで日本の良さ、家業のすばらしさに気づく。
日本に帰ってきた時にその息子は家業とはちょっと違う、作務衣とカジュアルウェアをミックスさせたスタイルのショップをオープンさせることにした.....」
SOU・SOU作務衣は、こんなイメージだった。
なので、オリジナル作務衣とストリートカジュアルブランドのミックスで品揃えした。
アディダスなんかも扱っていた。
一般の人が拒絶しないように配慮しながら、最終的にはSOU・SOUフルオリジナルのラインナップに出来ればな...と思っていた。
この店が後の傾衣になる。
(つづく)
写真はキーヤンからの年賀状
アップで
この顔がなんとも言えず良い
それでは、また明日。