一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(32)”
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時を同じくして「SOU・SOU足袋 EXHIBITION NEW YORK-TOKYO-KYOTO」という展覧会をやった。
地下足袋を広めるために何かイベントをやろうと思ったのだった。こういう時、誰でも思いつくのが海外での発表だろう。
未だに多くの人に言われるのが「外国に持っていったら売れますよ」というセリフだ。
当たり前だ。誰でもわかる、そんな事。
当時の僕もそう思っていたからNEW YORKでの発表にこだわったのだろう。
以前は買い付けで散々お世話になったNEW YORK。
しかし「今度は売りに行く番だ!」と思っていた。
会場はSOHOにある小さなギャラリー。
マンハッタンでの土地勘はあったので、全く不安はなかった。
ただ準備期間が少なかった。そして肝心の地下足袋も全然予定より数が上がってこなかった。
これは新規取引の高砂産業さんに対して僕の熱意が、当時そこまで伝わっていなかったんだと思う。
しかし後には引けないので、そのまま計画を進めた。
メンバーは僕とカミサン、顧客からスタッフになった清水(彼は英語が話せた)、そして「自腹きってでも行きたいです!」と言ってきたガン(僕はこういうセリフに弱い)の4名。
会場のセッティングには辻村さんも来てくださった。辻村さんは、この小さな展示会のためだけにNYに来て観光もせずとんぼ返りで日本に戻られた。
現地のギャラリースタッフは「彼はこの数時間のためだけにわざわざ日本から来たのか」と驚いていた。
セッティングもなんとか終わり、地下足袋在庫も揃わないまま展示会初日を迎えた。
一番初めのお客さんがバカデカイ足で、13インチをくれと言って来たが合うものがなかった。さすがアメリカだと思った。
そして最初に売れたのがラルフローレンのディレクターをしているというポッチャリした男性だった。彼は何日も前から「いつSOU・SOU足袋が来るんだ?」とギャラリー宛てにメールをくれていたそうだ。
その後もグラフィックデザイナー、ファッションデザイナー、モデル等が大喜びで買って行ってくれた。さすがNEW YORKだと思った。
ちなみにヒップホップのダンサー達が来た時に「君たちは踊り始めて何年経つかは知らないが、この地下足袋は日本で400年の伝統がある阿波踊りのときに履く足袋だ。とても良いものだ。」と言ったら「スゲークールダ!!」と言って、これまた大喜びで買って行ったのを憶えている。
(つづく)
写真はヌー様に「モシカシテ アナタ インジドジン?」と思われたシーモオーカー
それでは、また明日。