一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(28)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
そう言えば、最初丸五さんで地下足袋を作った時のこと。
地下足袋を発注したのはいいけれど、実は会社には倉庫がなかった。
確か2300足ほどオーダーしていたにも関わらず、それを置くスペースのことは何も考えていなかった。というか、多少考えてはいたけれど、いくら考えても答えは見つからなかったのだ。
仕方がないので、なんとか店のストックスペース、店内、事務所内の置けるところにすべて置いた。
東京店からの業務日報には「こんなに地下足袋が送られてきて売れるのでしょうか」と書かれてあった。「やかましい!売るんじゃ!」と思って、バンバン送った。
そんなある日、当時僕がテナントを借りていながらも経営の一切を任せてていたお店があった。しかしその店長が店を辞めるといってきた。
急遽店が空くことになった。仕方がないからそこに地下足袋だけを並べてお店をやってみることにした。お金も時間もかけられないから店内は一切何も手を加えず、店先にかける旗だけ作って「SOU・SOU足袋」とした。
その時はまだ会社の売り上げの柱となっていた洋服のセレクトショップ事業の店頭スタッフだった中岡(現・足袋屋店長)に「キミ、明日から足袋屋やってくれるか」と頼んだら「ハイ」と言ったので、SOU・SOU足袋店長にした。
また、teems design+moonbalanceの事務所でグラフィック担当だった岩崎も、急遽足袋屋スタッフにした。グラフィックの仕事なんて、実は全然なかったのだった。でも、彼女も快く引き受けてくれた。
当時行き当たりばったりで行った人事に文句も言わず付いてきてくれたスタッフには感謝している。
そして、このドタバタ劇が、SOU・SOUの足袋部門を独立させるきっかけにもなった。
この後、SOU・SOU伊勢木綿、SOU・SOU作務衣等、商品カテゴリーごとに店舗を展開していくことになる。
(つづく)
写真は口をパクパクさせてカレーを食べる荒武
それでは、また明日。