一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(27)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
SOU・SOUを始めてからは、いろいろな日本のコト、モノに興味を持ち始めた。
昔の人の美意識ってすごいなーと感心することがとても多かった。
ある日何かのときにサンプルとして買っておいたいわゆる黒い地下足袋を倉庫で見つけてまじまじと眺めていた。
「これって本当はとてもいいモノなんじゃないか」と漠然と思った。理由は、機能性、世界に類を見ない独特のデザイン性、そして伝統性が兼ね備わっていることだった。
また、日本人は地下足袋をファッションアイテムとして認めていないのに、外国人はオシャレな人ほど地下足袋を見て”クール”と言うところも面白い。
「これはイケるな。」直感的にそう思った。我々日本人は地下足袋に対して偏見を持っているだけだと思ったのだ。
さっそく地下足袋メーカーを探した。力王、丸五、月星(現ムーンスター)・・・。大手と言われる会社の名前が出てくる。
しかし、問い合わせてみるとどこも中国製だった。国産にする意味などどこにもないという感じだ。
とりあえず、岡山の丸五さんにお邪魔して話を聞くことにした。
藤木さんと大谷さんがいろいろと話を聞かせてくださった。昭和40年代、力王さんを皮切りに皆中国へ生産拠点を移していったそう。話を聞いてるとそれが良いとか悪いとかではなく、時代の流れだったのだと思った。
仕方がないので、丸五さんにお願いしてとりあえず中国製でオリジナル地下足袋の生産をスタートすることにした。SOU・SOU足袋の始まりだ。
地下足袋の柄はSO-SU-UとHA-KOの2柄各白黒。デザインは、先の割れたものと先が丸いものの2型作った。
なかなか良い仕上がりだった。
これらの1stモデルはそれほど売れたわけではないが、柄数を増やしてカラフルにすれば絶対にもっと売れるはずだと確信した。
SOU・SOU×丸五足袋を発売しながらも、実は国産工場をずーっと探し続けていた。
この先きっと海外へも売っていくことになる。その時「日本の伝統的な履物です」といいながら中国製では、外国の人に「なんで?」と言われるに決まっている。
国内では誰もそんな事言っていなかったが、それは皆が地下足袋に興味がないからだと思った。
例えばヴィンテージ市場では(アメリカ人は誰もそんな事は言わないが)リーバイスやナイキはアメリカ製がいいと言う日本人はいっぱいいるし、ロレックスはスイスメイドがいいと言うだろう。
当時、プラダが中国生産をスタートするという事がニュースにもなっていた。まーそれくらい日本人はブランドやプロダクトの生産国に対して、実はこだわっているのだ。
僕は別に何が中国製でもかまわない。
ただ、日本の伝統的なもの、例えば着物、扇子、足袋みたいなものは国産、それも伝統的な産地で作る方が良いものが出来て本物だと思っている。
でも、へったくそなくせに「日本製」と打ち出すくらいなら、上手な中国製の方がマシだとも思う。
まーそんな訳でいろいろあたっているうちに国産地下足袋工場、まるそう産業、高砂産業に出会うことになる。
(つづく)
写真は(秘)インドカレーノートを見ているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。