一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(26)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
東京店オープンは、10年前の2003年3月8日。
前日はオープニングレセプションで大勢の方が来てくださったが、オープン初日は意外とあっさりしたものだった。
僕もオープン後1ヶ月は毎日ヴィーナスフォートに出勤した。当時いたスタッフのお父さんの紹介で、恵比寿にある某組合の社員寮にお世話になった。
売り上げは毎日イマイチというかサッパリだった。ちょっとお店をクールに作りすぎたのか、入りづらいというお客様の声もあった。
知らない場所での出店というのは、オープンしてからが勝負だ。
営業しながらその場所や客層に合ったMDにしていくとか、時間をかけて自分たちの世界観を好きになって頂ける顧客を作っていくとかして、少しずつ発展させていかなければいけない。これは思ってた以上に大変そうだなと感じていた。
東京での一人暮らしを始めた岡部も相当大変だったに違いない。初めての東京一人暮らしと、知らないスタッフとの慣れない仕事場、取れない売り上げ・・・。
売れていて疲れるのは心地よいが、売れなければ疲れるだけでなく精神的にもキツくなる。
予算が取れないまま1ヶ月が過ぎ、僕は京都へ戻らなければいけなくなった。東京での最終日、恵比寿の居酒屋で岡部に
「明日からしっかり頼むで」
と伝えたときの彼女の表情はとても疲れていて覇気がなく、これからやっていけるのかなとちょっと絶望的な感じがしている様に僕には見えた。(本人はどう思っていたかは知りませんが)
その後もずーっと売り上げは悪く、赤字経営が続いた。
その頃会社のメイン事業はまだ洋服のセレクトショップの方で、売り上げは調子良かった。そちらの利益をSOU・SOUのマイナスに充てていた。
しかしながら商業施設というのは普通のテナントとは違って、家賃さえ払っていればいいというわけではない。ある程度ヴィーナスフォート側が納得する売り上げを取らないと出て行かなければいけない。それは、デパートを含むどんな商業施設でも同じこと。
SOU・SOUがオープンしてから約半年後、ヴィーナスフォートの運営室から「そろそろSOU・SOUにテコ入れした方がよさそうだな」という声も出ていたそう。
「テコ入れもへちまもない。こっちだって真剣にやっているんだ」と思いながらも、やはり売り上げは芳しくなかった。
そんな中、SOU・SOUの救世主「地下足袋」が登場することになる。
(つづく)
写真は傾衣スタイルのちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。