一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(24)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
ヴィーナスフォートの出店を決めてからはいろいろバタついた。
京都から責任者を一人派遣しなければいけないし、東京でも求人しなければいけない。
京都からのスタッフは、責任者の男性を1人決めた。
そのスタッフは京都のマンションを解約し送別会まで終わらせたが、東京に行く直前で取りやめになった。
僕が人事を変更したのだった。何か虫の知らせのようなものがあったからだ。
その代わりに任命されたのが現東京マネージャーの岡部だった。
京都から出たことがなかった箱入り娘の彼女だったが、当時習っていたお茶、お花も辞めてもらって東京行きを了承してもらった。
突然の転勤に親御さんもさぞがし心配だったと思う。
しかし、この人事でなければ確実に今はなかったと思っている。
その次は東京現地スタッフだ。
知人を少しあたってスタッフを探したが、誰もめぼしい人がいない。
そんな中、東京にいる姉の紹介で何人か恵比寿の純喫茶ルノアールで面接をした。
SOU・SOUという実態がないということは
「何でSOU・SOUを選んだのですか?」とか「SOU・SOUは好きですか?」とかが聞けない。
逆に「僕たちはSOU・SOUというお店をやろうと思っています」
「コンセプトは日本の伝統の軸線上にあるモダンデザインでして・・・」とプレゼンしてる感覚だった。
しかしいくら説明しても相手の反応はすこぶる悪く、結局誰も来てくれなかった。
そんなこんなで前途多難ではあったが、結果的にはなんとか数人集まってオープニングメンバーは揃ったのだった。
(つづく)
写真はちゅぢゅきさんの幼少時代。
それでは、また明日。