一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“第四十話/SOU・SOU作務衣”
「SOU・SOU足袋」「SOU・SOU伊勢木綿」「SOU・SOUしつらい」を作った時、どさくさで「SOU・SOU作務衣」というお店を作った。
(SOU・SOU作務衣店頭写真)
どさくさというのは、本当は当時やっていた洋服のセレクトショップの改装を予定していたのだが急遽そこを「SOU・SOU作務衣」に変更したからだ。
僕は、「この洋服のセレクトショップを改装したところで将来は無い…」と感じていた。
それを正直にスタッフに相談したところ、「実は私もこの先の事を考えたらこの店もSOU・SOUにした方が良いのではと思います...」と言った。図面着手ギリギリのタイミングだった。
そのスタッフはスケーターでジーンズを”ケツ出し”ではく様なタイプだったので、僕が力を注いでいたSOU・SOU事業部についてはほぼ興味が無かったと思うが、それでもその様に感じていたのだ。おかげで絶妙のタイミングでセレクトショップを閉め「てSOU・SOU作務衣」というお店を作る事が出来た。
この店はSOU・SOU初となる衣類のお店にした。
セレクトショップにいた半ケツスタッフと当時SOU・SOU足袋店に勤務していた石田明日香(現 着衣店長)をこの店に配属させた。
本当は「着るもの」を取り扱うならば”SOU・SOU着物”という店名にすればいいのだが、着物というとどうしても堅苦しいイメージなので、SOU・SOU作務衣という店名にした。
作務衣は普通の人に馴染みは無いが要するにワークウェアだ。
セレクトショップからスライドさせた半ケツスタッフもいるから、日本のワークウェアである作務衣をファッションとして提案するお店がいいんじゃないかと思ったのだ。
そんな店どこにも無いことだし。。
また、このお店には次の様な架空のストーリー設定をしていた。
「京都のある老舗呉服屋にお洒落好きの息子がいた。彼は『着物には興味ない!家業なんか継ぎたくない!』と言って、大学卒業後とりあえず憧れのアメリカに渡った。
しかし図らずもそのアメリカで日本の素晴しさ、着物の美しさ、家業の凄さに気づく事になる。
そして数年たって帰国後その息子は家業を継ぐことを決心した。しかしそのまま継ぐのではなく、新業態として作務衣とカジュアルウェアをミックスさせた新しいスタイルを提案するショップをオープンさせることにした。彼は『家業の着物屋は素晴しいものを扱ってるが今のままではこの先だめになる。和装に目を向ける若者達をもっともっと増やさなければいけない、その為には着物をもっと自由に楽しめるものにしなければいけない。』という思いでその店を立ち上げたのだった。」
こんなイメージでSOU・SOU作務衣というお店をつくった。
オープン当初はオリジナル作務衣の他、仕入れ物の浴衣やストリートカジュアルブランドのミックスで構成した。
下駄と一緒にアディダスなんかも並んでいた。
着物屋色が強くなってしまって一般の人が入店を拒絶しないよう特に配慮した。
スタート時は色んなものを仕入れたりミックスしながら品揃えしたが(そうするしかなかったのだが)、近い将来は全てSOU・SOUオリジナルのラインナップに出来ればな...と思っていた。
この店が後のSOU・SOU傾衣になる。
(次回に続く)
それでは、また明日。
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「SOU・SOUへの道/第四十話」
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3 件のコメント
作務衣のレディースライン、ワンマイルウェアにもなる割烹着。
作って欲しいです。お願いします。
はな様
コメントありがとうございます。
割烹着はよく言われますね…。
ちょっと検討します。。
懐かしさが蘇ってきました…
当時はまだミックスしてたのしんでいたな、と。
あの頃からずっと秀でたアスカ店長♡
もうしばらくオンラインをたのしんで、また落ち着いたら京都へ伺いたいです