一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“第三十話/手縫い地下足袋”
次に見つけたのは、埼玉県行田市のまるそう産業さんだった。
この地域は、全盛期は年間400万足以上を生産していた手縫い地下足袋の一大産地だったらしい。
埼玉の商工会議所で調べてもらって、なんとか残っていた最後の一軒、まるそう産業さんを見つけたのだ。
初めて工場に電話をした時に出られたのが当時会長の小沢さんで
「京都から電車賃かけてわざわざ来て、採算は合うのか?」と聞かれた。
採算が合うかどうかはわからないが、行ってみない事には始まらない。とりあえず埼玉県行田市へ向かった。
なるほど、工場も働いている職人さん達も雰囲気があって、良い感じだった。
手縫い地下足袋というのは、ゴムソールとアッパーの足袋を手で縫いつけるところがポイント。
ゴムを針で通すのがとても硬くて「若い人に頼んでも2週間ももたないよ」とおばあちゃん職人がおっしゃっていた。
内側に付いている虎のプリントは、近くにある宝登山で安全祈願をしている証し。
「この仕事(現場)が無事に終わりますように」と地下足袋に祈願するのだ。
つまりお守り付きのスーパーシューズというわけだ。こんな履物は世界中探してもあるまい。
この手縫い地下足袋は、履き心地の良さから本場とび職の愛好家もいたらしいが、
ソールと本体をミシンで縫ってるから雨の時履くと水が沁みるという弱点があった。
とはいえこの手縫い地下足袋は日本の履物史の中でとても貴重な位置づけで文化財みたいなものだと思っていた。
ところが2010年に突然「廃業」のお知らせが来た。ゴムソール屋さんが廃業されたため、地下足袋を生産することが出来なくなったとのこと。
もしSOU・SOUだけでコンスタントに月間500足以上を発注できたら倒産を防げてたかもしれないが、残念なことに当時それはできなかった。
これで行田市の、いや日本の「手縫い地下足袋の歴史」が終わってしまった。。
「手縫い地下足袋の灯火は消さない」と小沢会長がおっしゃっていたのが思い出される。
(次回に続く)
それでは、また明日。
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