一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“第二十話/テキスタイルデザイナー 脇阪 克二”
ある日の午後、京都の山宗染工所(現在廃業)で初めて脇阪さんと対面した。
辻村さんが手がけられていたダイニングカフェの物件に使うテキスタイルのサンプルチェックだった。
工場にはカラフルな花柄の帆布が並んでいた。
脇阪さんと辻村さんは、どの色がいいか打ち合わせをされていた。
打ち合わせが終わった後、近くの中華料理屋へ行った。
脇阪さんは、ざっくばらんな人だった。
初めて会ったその日に
「テキスタイル業界は先細りだねー」とか
「日本の企業はソフトにお金を出さないからねー」とか
「僕も棺おけに片足突っ込んでるようなもんだからねー」とか
歯に衣着せぬ言い方で、若い人が聞いたら夢も希望もないことをあっさりハッキリ言われて驚いた。
しかしながら、本当の事を言う信用できる人だなと感じた。
その後も、脇阪さんのアトリエ(当時は西宮にあった)に行って、
いろいろなデザインを見せてもらったり、僕の仕事の考え方を話したりと、
なんとなく付き合いが始まった。
そうそう、言いわすれたが、僕は脇阪さんと出会って初めて
テキスタイルデザイナーという職業があることを知った。
テキスタイルのデザインは、生地屋の社員がパソコンを使って外国の模様をコピーしたりして、
ちゃちゃっと作っているものだと思っていた。
実際、多くのプリント生地はそうやって出来ているのだと思うが、
脇阪さんのアトリエに初めて伺った時にその考えが覆った。
40年前のデザインも、10年前のデザインも、そして現在のデザインも、
どれもこれも全く色褪せることなくモダンに見えた。
(若かりし頃の脇阪さん)
ファッション業界にいた僕は、毎年トレンドが変わることや、
三ヶ月ごとに展示会で新作を発表するスタンスに何となく嫌気がさしていた。
別に悪いことではないけれど、常に新しいものを売り続けることに疑問を感じていた。
僕は、自分の作ったものはやはり長く使い続けてもらいたい。
真剣にモノづくりをしている人ならばそれは当然の感覚だと思う。
そのためには、流行に流されないもの(多くのデザイナーが同じことを言いますが、
結局は流行のものしか作らない)を作りたいと思っていた。
そんな時、脇阪さんのテキスタイルデザインと出会って「これだ!」と思ったのだった。
モダンで普遍的なテキスタイルデザインがあれば、
例えばベーシックなデザインのバッグを作っても、きっと長く使ってもらえる。そう思った。
ここからがSOU・SOUのスタートとなる。
(次回に続く)
それでは、また明日。
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今日の合言葉は 「SOU・SOUへの道/第二十話」
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