“SOU・SOUへの道”で検索した結果、122件の記事が見つかりました
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年05月01日 土曜日号より
第二十四話/人事
ヴィーナスフォートの出店を決めてからはいろいろバタついた。 京都から責任者を一人派遣しなければいけないし、東京でも求人しなければいけない。 京都からのスタッフは、責任者の男性を1人決めた。 そのスタッフは京都のマンションを解約し送別会まで終わらせたが、東京に行く直前で取りやめになった。 僕が人事を変更したのだった。何か虫の知らせのようなものがあったからだ。 その代わりに任命されたのが現東京マネージャーの吉田(旧姓 岡部)だった。 京都から出たことがなかった箱入り娘の彼女だったが、当時習っ・・・・・>続きを見る
SOU・SOU日記 / スタッフがお届けする日記
令和3年04月28日 水曜日号より
運命の出逢い / 菊池 明美
SOU・SOUサポーターの皆様、こんにちは! 青山店のレッズサポ、菊池明美です。 我が浦和レッズは、11試合戦って、5勝4敗2引分け、勝点17で現在8位。 チームの目指す形が見えて来て、新加入の選手がイキイキと活躍し、なかなか良い雰囲気であります。 2週間の待機期間を終えてキャスパー・ユンカー(デンマーク)も合流し、益々楽しみになって来ました! さて、本日はSOU・SOUとの出逢いについてお話させていただこうと思います。 2014年の冬頃のことです。 駅ビルのエスカレーターを降りて・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年04月24日 土曜日号より
第二十三話/オファー
teems design + moonbalanceのショップは、なかなか入りづらいお店だった。 1Fがコムデギャルソンで、ビルのファサードは真っ黒。その横の細い階段を上ってまず2Fへ行き、そこからエレベーターで3Fに行く。そしてエレベーターのドアが開いたら、そこがショップだった。 (店舗が入っていたビル。Googleストリートビューより) ショップに来るお客様はすごく緊張されていたと思う。 デパート以外で「エレベーターが開いたらすぐお店」というのは僕でも緊張する。 どんな店か・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年04月10日 土曜日号より
第二十二話/前身の紆余曲折
teems design shopというのは、インテリア雑貨を中心に取り扱っていた。 オリジナルテキスタイルのタオル、クッションの他、 レコードバッグ、CDバッグ、デザイン家電、イームズの雑貨等。 その後、辻村さんが5F建てのビルを買われることになって、 そのビルで何かしようという話になった。 1Fに和食屋、2Fにteems design shop、3Fにインテリアショップ、 4Fが辻村久信デザイン事務所、5Fがカフェ。 なんとなくこんなプランだった気がする。 1Fのショップで使う家・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年04月03日 土曜日号より
第二十一話/構想と試作
先日脇阪さんが「やっと”SOU・SOUへの道”に僕が出てきたねー」とおっしゃっていた。 そうです。ここから脇阪さんが出てきます。 しかし、脇阪さんと出会っていきなりSOU・SOUが出来たわけではない・・・。 ある日、脇阪さんと辻村さんと僕とで食事に行った時 「脇阪さんのテキスタイルでスリッパがあればいいですねー」 「そうですねー。扇子や風呂敷もいいんじゃないですか?」 「椅子なんかもいいですねー」 「かわいいでしょうねー」 てな具合で話が盛り上がり 「いっそのこと、脇阪ショップでも・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年03月27日 土曜日号より
第二十話/テキスタイルデザイナー 脇阪 克二
ある日の午後、京都の山宗染工所(現在廃業)で初めて脇阪さんと対面した。 辻村さんが手がけられていたダイニングカフェの物件に使うテキスタイルのサンプルチェックだった。 工場にはカラフルな花柄の帆布が並んでいた。 脇阪さんと辻村さんは、どの色がいいか打ち合わせをされていた。 打ち合わせが終わった後、近くの中華料理屋へ行った。 脇阪さんは、ざっくばらんな人だった。 初めて会ったその日に 「テキスタイル業界は先細りだねー」とか 「日本の企業はソフトにお金を出さないからねー」とか 「僕も棺お・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年03月20日 土曜日号より
第十九話/辻村さんとの出逢い
アポなしで出向いた辻村デザイン事務所。 「いつもは居ない事が多いんですけど、今日は辻村おりますんでどうぞ」とスタッフさんが通してくれた。 初めて会った辻村さん(ハッサンは「辻やん」と呼ぶ)は、気さくな方だった。 「何の御用ですか?」 「家を建てたいと思ってるんです」 「そうですかー」 てな具合で話は進んだ。 辻村さんが手がけられたいろんな店舗の写真を見せてもらった。 そしてこの日初めてインテリアデザイナーという職業がある事を知った。 なるほど、こいういう事か。それまでお店作りは店主・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年03月13日 土曜日号より
第十八話/時流
GASPはアメリカやヨーロッパからレアモノを直接買い付けするスタイルのお店で、 当時京都ではめずらしかった。 でも、しばらくすると同じような品揃えの店も出来てくる。 まー誰でも出来る商売だ。外国に行って品物買ってくるだけだから。 それにしても、同じ京都で商品がバッティングして 価格競争になっていくのは嫌だなと思っていた。 ちょうどその頃、原宿の人気SHOPの オリジナルブランドがブームになり始めていた。 DCブランドにはないインディーズ感とエネルギーは、 今までにない感じがしておも・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年03月06日 土曜日号より
第十七話/買い付けの思い出
GASPには、近くにあるブランドショップのスタッフさんや古着屋のスタッフさん、 大阪や滋賀、神戸からもショップスタッフの方が沢山来てくださった。 レアものが安く買えるという評判だったのだと思う。 買い付けはNY中をくまなく歩き、いろんなものを探した。 ちょっと危険なハーレムやブルックリンではたまにレアものに出会えた。 黒人に「ヘイッ! コノ辺デ ソンナ大量二 ナイキノスニーカーヲ 持ッテ 歩イテイタラ 危ナイカラ 注意シロヨ、メーン!」とアドバイスをもらったこともあった。 ・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年02月27日 土曜日号より
第十六話/帰国
年が明けて2月頃だったか、日本に戻った。 僕が現地で買い付けたものは、自宅の3部屋と庭をパンパンにした。 両親はビックリしていた。 本当は東京でお店をやりたかったが、 当時はバブル崩壊後とはいえ家賃が高く手が出なかったので、地元京都でお店をやることにした。 四条木屋町にあった7坪弱の空きテナントを見つけ、家賃24万円を13万円に値切って借りることになった。 このテナントは、以前は世界の下着「ワールドランジェリーショップ」だったらしい。 上の階にはキャパクラとゲイバーが入っていた。 お・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年02月20日 土曜日号より
第十五話/懐かしの場所
NYに来て2ヶ月目に入った時に「お店をやろう!」と思い立った。そして急遽”買い付け”をスタートした。 ビンテージアメカジからNYの流行モノまで自分の好きなものや得意分野を中心に買い付けた。 Levi's、CHANEL、Calvin Klein、NIKE、RRL・・・日本で売っていないものやレアものをチョイス。 買い付けする時には、どういう風に接客するかのイメージもすでに出来ていた。 仕入れた商品は橋本さんの事務所に置いてもらっていた。 事務所はブロードウェイとハウストンの交差点にあって、京・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年02月13日 土曜日号より
第十四話/NYの生活
NYでは家庭教師をつけた。英語が全く話せなかったからだ。 朝は8時からアメリカ人の先生に、夜は橋本さんに英語を教わった。 英語は文法や発音はどうでもいい。 おどおどせずに、とにかくしゃべることが大事だと感じた。 実際アメリカにはろくに学校に行っていない人も大勢いるし、文字が書けない人もいっぱいいる。 人種のルツボと言われるNYでは、スパニッシュ、チャイニーズ等、 英語の発音がむちゃくちゃで全然聞き取れない人もいっぱいいた。 ネイティブの英語にこだわるのは、日本人の特徴だと思う。 基本・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年02月06日 土曜日号より
第十三話/そしてNYへ
パターンナー時代、お盆と正月は実家の京都に帰っていた。 京都に帰った時も地元の古着屋チェックは怠らなかった。 あるとき京都に新しい古着屋が出来たとのウワサを聞いて、早速行ってみた。 独特のセレクト&価格の安さで、すぐそのお店が気に入ってしまった 聞くところによると3人でお店経営していて、そのうち1人はNY在住だという。 二回目にそのお店に訪れた時、偶然NY在住の方も店に来ておられた。 バイヤーの橋本さんという方だった。 僕は店の人と仲良くなることが少ない方だと思うのですが、 初めて会った橋本・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年01月30日 土曜日号より
第十二話/「本物」を求め
DCブランドの快進撃は90年代に入って翳りを見せはじめる。 勤めていた会社の売上げも落ち始めた。 そうすると途端にいろんなところを節約し始める。 コピーの数もチェックされ、トイレットペーパーの使用量もチェックされた。 その頃渋谷では「渋カジ」と呼ばれるスタイルが生まれ、新ジャンルのファッションとして流行した。 イケてる渋カジアイテムが買えるお店は当時並行輸入のインポートショップだった。それは当時日本未発売のアメリカブランド(例えばGAP等)をアメリカのショップで買い付けてきて日本で・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年01月23日 土曜日号より
第十一話/ビンテージ古着ブーム到来
DCブランドで働く少し前から、ファッションの興味の対象はビンテージ古着にも飛び火した。 リーバイスや軍モノ、スカジャン、スニーカー、ジッポ、カレッジリング等、アメリカやヨーロッパの古いものがどんどん好きになっていく。 そして、そのちょっと後にビンテージ古着ブームがやってきた。 レアな古着はどんどん値段が吊り上がり、人気のあるリーバイス501XX(ジーンズ)は10万円を軽く超えていく。 それ以外にもレアで人気のある古着アイテムは、基本的に10万円以上した。 あ・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年01月16日 土曜日号より
第十話/社会人の思い出 その1
学校を出て、ファイブフォックスという会社にパターンナーとして就職した。 実はここ以外全ての会社に落ちたのだ。 入社試験は手袋の「トワル」(業界用語で要は簡単なサンプル)作成だった。 てっきりジャケットのパターンが試験に出ると思っていたので面食らった。 しかも手袋のパターンなんて学校で教わっていない。 しかしそんなことも言ってられないので、独自のやり方でパターンを作成しトワルを作った。 試験を受けていた5人の中で一番初めに完成した。なんとなく受かった気がした。 後で知ったが実は5人全員採用さ・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年01月09日 土曜日号より
第九話/学校の課題 その2
専門学校は、高校までと違って学生が急にルーズになる。 全然学校に来なくなる人もいるし、学校に来ても遊んでる人もいる。 勉強する気がないなら、高い学費払ってまで来なければいいのに・・と思った。 それは今の造形大学の学生達にも言えることだが・・・。 ちなみに僕はバーゲン行った時を除いて一度も授業をサボったことはなかった。(と思う。) 授業では一日中ただひたすら洋服の製作をする。ボロい校舎も含めてあまりにも地味な毎日だったので、メジャーな文化服装学院やモード学園に憧れた。 写真は自作のフルハン・・・・・>続きを見る
SOU・SOU日記 / スタッフがお届けする日記
令和3年01月08日 金曜日号より
はじめまして!/菊池 明美
はじめまして。 昨年11月より青山店で働いております、菊池明美と申します。 先輩方もそれぞれの「SOU・SOUへの道」をこのブログにつづられていましたが、僭越ですが私も「SOU・SOUへの道 菊池ver.」を書かせていただきたいと思います。 拙い文章ではございますが、お付き合いくださいませ。 社長の新人紹介にもありましたように、私は原宿の中国料理レストランで22年間働いておりました。 ご来店されたお客様の受付・クローク・会計・電話応対・予約受付・宴会打合せなどのフロント業務です。 ・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和3年01月02日 土曜日号より
第八話/寮生活のあれこれ
元旦過ぎて2日になると一気にお正月感が無くなってしまいます。 今日はお墓参りして、帰ってきたら家でおぜんざい食べます。。 というわけで本日は「SOU・SOUへの道」をどうぞ。 寮生活は楽しかった。 週末になると誰かが泊まりに来たり、夜の街に繰り出したりした。 塚田さんという先輩のベッドの下には、いつもご実家から送られてくるチョコパイが隠してあったので、皆で内緒で食べていた。 バイトが長引くと銭湯が閉まってしまうので寮風呂になる。寮風呂というのはベランダの炊事場でホースで水浴びすることだが・・・・・>続きを見る
一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
令和2年12月26日 土曜日号より
第七話/学生生活の事 その2
専門学校時代はハードながら楽しかった。 学校&寮が新宿なので、土曜日の夜にはよく友人と歌舞伎町に行った。渋谷センター街にも行った。 新宿コマ劇場の1階にロッテリアがあって、そこにVIDEOジュークBOXがあった。1曲100円でPVが見られる。 当時は友人達も皆レベッカが好きで、ライブ映像を何回も見た。 今はYou Tubeのおかげで何回見てもタダだ。もう見ないけど。 ひと通り夜の歌舞伎町を練り歩いたらそのまま友達を寮に泊めて、次の日の日曜日には丸井に行ってDCブランドの服を見た。もちろん見・・・・・>続きを見る