一期一絵 毎日更新!SOU・SOU読本

ちゅぢゅきさん”で検索した結果、55件の記事が見つかりました

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(16)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 年が明けて2月頃だったか、日本に戻った。 僕が現地で買い付けたものは、自宅の3部屋と庭をパンパンにした。両親はビックリしていた。 本当は東京でお店をやりたかったが、当時はバブル崩壊後とはいえ家賃が高く手が出なかったので、地元京都でお店をやることにした。 四条木屋町にあった7坪弱の空きテナントを見つけ、家賃24万円を13万円に値切って借りることになった。このテナントは、以前は世界の下着「ワールドランジェリーショップ」だったらしい。上の階にはキャパクラとゲイバーが・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(14)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 NYでは家庭教師をつけた。英語が全く話せなかったからだ。 朝は8時からアメリカ人の先生に、夜は橋本さんに英語を教わった。 英語は文法や発音はどうでもいい。 おどおどせずに、とにかくしゃべることが大事だと感じた。 実際アメリカにはろくに学校に行っていない人も大勢いるし、文字が書けない人もいっぱいいる。人種のルツボ(「ルソンの壺」を略しているわけではない)と言われるNYでは、スパニッシュ、チャイニーズ等、英語の発音がむちゃくちゃで全然聞き取れない人もいっぱいいた。・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(10)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 学校を出て、ファイブフォックスという会社にパターンナーとして就職した。 実はここ以外全ての会社に落ちたのだ。 入社試験は手袋のトワル作成だった。 当日までジャケットのパターンが試験に出ると思っていたので面食らった。 しかも手袋のパターンなんて学校で教わっていない。 しかしそんなことも言ってられないので、独自のやり方でパターンを作成し、トワルを組んだ。試験を受けていた5人の中で、一番初めに完成した。 後で知ったが、全員採用されていた。そういう時代だったのだと思う・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(9)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 専門学校は、高校までと違って学生が急にルーズになる。 全然学校に来なくなる人もいるし、学校に来ても遊んでる人もいる。 勉強する気がないなら、高い学費払ってまで来なければいいのにと思った。 それは今の造形大学の学生達にも言えることだが・・・。 ちなみに僕はバーゲンを除いて一度もサボったことはなかった。(と思う。) 授業では一日中ただひたすら洋服の製作をする。ボロい校舎も含めてあまりにも地味な毎日だったので、文化服装学院やモード学園に憧れた。 そういえば当時作った・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(8)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 寮生活は楽しかった。 週末になると誰かが泊まりに来たり、夜の街に繰り出したりした。 塚田さんという先輩のベッドの下には、いつもご実家から送られてくるチョコパイが隠してあったので、皆で内緒で食べていた。 バイトが長引くと銭湯が閉まってしまうので寮風呂になる。寮風呂というのはベランダの炊事場でホースで水浴びすることだが、冬場は本当にキツかった。 部屋に暖房がなかったので、6人部屋の真ん中に電気コンロ置いて暖をとった。 ベッドから布団が落ちて引火したら大変なことに・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(7)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 専門学校時代はハードながら楽しかった。 学校&寮が新宿なので、土曜日の夜にはよく友人と歌舞伎町に行った。渋谷センター街にも行った。 新宿コマ劇場の1階にロッテリアがあって、そこにVIDEOジュークBOXがあった。1曲100円でPVが見られる。 当時は友人達も皆レベッカが好きで、このライブ映像を何回も見た。 今はYou Tubeのおかげで何回見てもタダだ。もう見ないけど。 ひと通り夜の歌舞伎町を練り歩いたらそのまま友達を寮に泊めて、次の日の日曜日には丸井に行っ・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(5)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 学校へはすぐ行けた。なんといっても寮の下の階が教室だ。 授業が始まる5分前に起きて教室に入り、出席を取ってまた寮に戻る。 それからゆっくり支度をした。 しかし先生もバカではない。すぐに注意されて、その手は使えなくなった。 学校の設備は古かった。 こんなミシンや アイロンだった。 生活費は1日950円位だった。 缶コーヒー100円(当時は100円だった。)、昼はチキンカツ弁当350円(そう考えたら今の方が弁当安いな。)、タバコ250円(ラークだった。高級品だ・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(4)

※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。 日本メンズアパレルアカデミーに着いたら、すぐに学校の上にある取って付けたような寮に通された。3?6人部屋が5室あって、僕は8畳位の広さに2段ベッドが3つある6人部屋だった。 自分の場所は2段ベッドの上段のみ。それにカラーボックス1個とロッカー1個が割り当てられた。冷蔵庫と洗濯機は1台を寮生全員で使った。冷暖房はなく、トイレは下の階に行って学校のものを使った。キッチンもなく、手洗い場はベランダにあった。 今から思うと、オシャレとは程遠い、とても大変な東京生活のス・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(3)

「あんた!言っとくけど姉ちゃんが東京に行ってるからって、自分も行きたいとか言いださんといてや!」 ある日、母親にそう言われた僕は、「ヤバイ、バレてるやんけ」と内心ドキドキしていました。 しかし、そんな事で憧れの東京行きを断念するわけにはいきません。 いろいろありましたが、最終的には「CHECK MATE」で見つけた日本メンズアパレルアカデミーに行けることになりました。 東京に出発する日、朝から高校の同級生が十数人京都駅まで見送りに来てくれて、新幹線に乗ってる僕に万歳三唱をしてくれました。 まるで昭和の田舎駅・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(2)

DCブランドの服を身に纏い、オシャレを楽しんでいた高校生の僕は、次第にファッション業界へ憧れをもつようになりました。そして、アパレル業界に入るには、ファッション専門学校に行かねばなるまいと考えておりました。 当時、日本のファッションの中心は、当然京都ではない、大阪でもない、東京だ!と強く思っていた僕は、なんとしても東京の専門学校に行きたいと企んでいたのでした。 しかしながら、ウチは裕福ではなかったのと、すでに姉が東京のヘアメイク専門学校に通っていたので、資金的に親に迷惑をかけられないなと思い、寮がある学校を・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

SOU・SOUへの道(1)

SOU・SOUの前身「teems design + moon balance」時代を含めると、SOU・SOUは今年の6月で10年を迎えました。 SOU・SOUという名前にしてからは、来年3月で丸10年です。 そこで(という程のことではありませんが)、SOU・SOUを始めるきっかけみたいなことを何回かに分けて、この駄話の中でご紹介させて頂こうと思います。 遡ること30年前。僕が中学三年生の時です。 この頃、僕は初めてオシャレに目覚めます。当時はアイビーが流行していて、「VAN」というブランドに憧れておりました・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

関谷ERI(2)

この男から、いきなりこんなメールが 予告どおり現われて連れて行かれた。 「写真撮ってねーで、ハッサンも来いよ!」 現場に着くやいなや、後方からこっそり激写 誰かなーと思って覗いたら、赤い人がサイン会をしておられた。 この男はさらに後方から激写 そして笑顔 知り合いらしき女性を見つけ 軽く話し込んで 笑顔 ふと目を離したらハッサンを激写中 「なにか?」 ちゅぢゅきさんが遊んでいるときに僕は花束を用意し 道行く人に本を宣伝していた。 そしたら横からちゅぢゅきさんがミッキーのポーチを持っ・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

味平(105)<グラーブダイニング>

今年も日本のカレーマニアによる日本人のためのインド人が作るスペシャルインド料理イベントに行ってきました。 これがスペシャルミールス。 前に座られていたのは「あまから手帖」の編集の方達。こっそり調査に来られていた。 中央がシェフの方。そして左端がご存知カレーマニアのちゅぢゅきさん。 うれしそうにミールズを食べる図。 最後は満腹でうれしくてはしゃぐちゅぢゅきさん。 このイベントについて詳しくはコチラをご覧ください。 それでは、また明日。 ・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

大文字と中黒

昨年も言いましたが、SOU・SOUは全部アルファベットの大文字で中黒が入ります。 これが正解です。 今年届いた年賀状も全く改善されていないようなので、再度ご紹介させていただきます。 アルファベットが小文字 二段にして少しずらしてみたが、やはり小文字 Sだけが大文字で、中黒なし 全て大文字だが、中黒のない惜しいもの 点ではなく棒のもの ハイフンのもの 中黒ではなくピリオドのもの。惜しい・・・ やっと完璧なものが出てきた。 誰かと思ったら田端さんだ。 さすがです。 こちらは番外編。若林剛子に・・・・・>続きを見る

一日一駄話 /  SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事

キーヤンイベント

キーヤンの出版記念パーティーがありました。 だいたいどういう内容かはコチラを見てください。 というわけで、僕はダイジェストを。 タキイ本社ビル看板 キーヤン作 イベント会場となった本社入口もキーヤン一色 4F会場は茶席になっていました 注染手ぬぐいの(株)ナカニ社長 今残っている数少ない注染工場は、ナカニさんを見習ったらいいと思う。 5Fライブ会場 キーヤン着物で踊ってる 出版社社長の挨拶に対し 「話が長い」とつっこみ 京都市長に対して 「同じ学校の後輩として扱うで」と脅し タキイの社長・・・・・>続きを見る

123

LINEにてお問合せいただくには、SOU・SOUとのお友だち登録が必要です。 LINEお問い合わせ窓口 新規お友だち登録

<営業時間>
12時~17時 ※水・日曜定休

※営業時間外でもメッセージを残していただければ、翌営業時間内にご連絡をいたします。