平成24年08月10日 金曜日号
“送料無料中”
送料無料キャンペーンが始まりました。
だいたい年に3回やっています。
今年は丸五足袋発売の時にもやりましたので、1回多い4回になります。
今までは5000円以上お買い上げの方が送料無料の対象でしたが、今回は試験的に3000円以上に金額を下げてみました。
よりお手軽になりましたので、宜しければこの機会に是非ご利用くださいませ。
最後は今日の標語。
昨年には昨年の、今年には今年の難問がちゃんと降りかかってくる。
僕はこれは成長の証だととらえています。
これを乗り越えた後、必ず会社が良くなっている。
そして、またもっとレベルの高い難問がやってくる。
それでは、また明日。
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平成24年08月09日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(10)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
学校を出て、ファイブフォックスという会社にパターンナーとして就職した。
実はここ以外全ての会社に落ちたのだ。
入社試験は手袋のトワル作成だった。
当日までジャケットのパターンが試験に出ると思っていたので面食らった。
しかも手袋のパターンなんて学校で教わっていない。
しかしそんなことも言ってられないので、独自のやり方でパターンを作成し、トワルを組んだ。試験を受けていた5人の中で、一番初めに完成した。
後で知ったが、全員採用されていた。そういう時代だったのだと思う。
社会人になって本当の一人暮らしが始まった。
西新宿の4畳半一間でキッチン、トイレ付き、木造ボロボロのみどり荘というアパートで、家賃は5万円だった。
当時のDCブランドは、イケイケの売れ売れだった。
仕事はたくさんあって、帰るのがいつも深夜だった。
深夜にシャワーを浴びたら、1階に住んでいる大家さんに「うるさい!」と注意された。それは、建物の構造上の問題やろと思った。
会社は原宿駅のすぐ前にあった。
一緒に働いていた先輩達にも恵まれて、いそがしい中とても楽しかった。
パターンは、僕の時代は全て手で引いていた。今はCADだと思いますが。
当時誰の机にもパソコンなんて1台もなかった。今では考えられないかもしれない。
展示会前になると、会社に寝泊りする。原反室のパッキンの束の上に寝るのだが、なかなか気持ちよかった。
何日間も泊まると汗もかくので、16時頃に原宿のど真ん中にあった銭湯にもよく行った。
僕がいたブランドのマネージャー(チーフデザイナー)はとても厳しい人だった。
でもそのお陰で、今何が起こってもたいがいのことは大したことないと思える。
いそがしくて大変だったが、今思い返すとその時が一番楽しかったと思う。
写真は、おいしいカレーを食べて満足しきった後に、チャイでしめているカメラ目線のちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
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平成24年08月08日 水曜日号
“SOU・SOUへの道(9)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
専門学校は、高校までと違って学生が急にルーズになる。
全然学校に来なくなる人もいるし、学校に来ても遊んでる人もいる。
勉強する気がないなら、高い学費払ってまで来なければいいのにと思った。
それは今の造形大学の学生達にも言えることだが・・・。
ちなみに僕はバーゲンを除いて一度もサボったことはなかった。(と思う。)
授業では一日中ただひたすら洋服の製作をする。ボロい校舎も含めてあまりにも地味な毎日だったので、文化服装学院やモード学園に憧れた。
そういえば当時作ったアイテムを以前の駄話で紹介していた。
写真は作ったスーツ。生地はエルメネジルドゼニアのものを当時奮発して買った。
カラークロス(衿裏)は全て手まつり
裏面はこんな感じ
袖裏はこれ位だぶつかせる。
アームホールは玉まつりをするのが良い。これはミシンでは出来ない。
背中はこんな感じ
ズボン
腰裏のマーベルトも全て手まつり。
裾には靴擦れを付ける。ゼニアの文字が光る。
卒業写真は皆自作のタキシード
ちなみに僕の右二人隣は今パターンをお願いしている金子。
その右隣はいつも相撲に一緒に行っている内藤。
左前にいるのはカミさんだ。
日本で唯一のオーダーメイド専門学校、日本メンズアパレルアカデミー(現廃校)。
今から思えば、この学校に行って本当に良かったと思う。
いつかまた、こういう学校が日本にも復活するといいなと思う。
(つづく)
写真は、カメラ目線でシブく決めるちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
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『玉まつり』で検索したら懐かしい写真が目に留まり、思わずコメントしてしまいました!
実は私もこの写真に一緒に写っております(金子の後ろあたり)
学生時代はあまりお付き合いが無かったかもしれませんが、今回ブログ・HPで若林さんのご活躍を拝見し、大変嬉しく思いました。
現在、私は故郷浜松の田舎町でテイラーをやっています。
SNSでメンズアパレルの同級生とも数人繋がっていますよ!
昨年も静岡出張に来た同級生2人と再会し楽しい時間を過ごす事ができました。
その彼が同窓会を企画しているようなので、もしも実現したら嬉しいです。(いつになるかはわかりませんが…。)
お仕事用のブログにプライベート的なコメントは失礼かと思いましたが、懐かしさに思わず書き込みしたことお許しください。
それでは、益々のご活躍をお祈りいたします。鈴木 貴様
コメント有難うございます。
鈴木さんは覚えてますよ!年上でしたかね?(間違ってたらスミマセン)
懐かしいです。。
テーラーされてるとは貴重ですね。
そして同窓会があればいいですね。
(内藤にはたまに会いますよ)
今後とも宜しくお願い致します!返信ありがとうございます!
高校卒業して、メンズアパレル入学なので同学年ですよきっと!(笑)
テーラーといっても本当に浜松の田舎でのんびりとやってます。びっくりするくらいの田舎町です(汗)
内藤くん、懐かしいです。
写真でも拝見しましたよ!(相撲の)
こちらこそよろしくお願いします!
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平成24年08月07日 火曜日号
“五山送り火 お干菓子”
8月のお干菓子はこんな感じ。
アップで。
netshopでお買い求めいただきます。
ちなみに今月16日、京都では五山の送り火があります。
なので、こんなお干菓子も30個限定でお作りしています。
個人的に一番好きなセット。京都 着衣店 しつらいの間でのみの販売です。
お干菓子は冷たいお抹茶と一緒に頂くと最高ですね。
最後に夏のお茶碗をいくつか。
ブルーのはギャラリー遊形さんで買うことができます。
それでは、また明日。
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平成24年08月06日 月曜日号
“味平(121)<花吉兆>”
お伺いするのは2回目の祇園花吉兆さんでお昼のコースを頂きました。
鮎ご飯
おかみさんがよそって下さった。
カキ氷も付いてきた。かかっているお抹茶が濃い目でおいしかた。
鮎ご飯が最高においしかった。
土鍋に余ったご飯を事務所の岩(ガン)に持ち帰ってあげたかったが、大御所の方々に連れて行ったもらっていたので、ちょっと言い出せなかった。
しかし、後悔先に立たず。遠慮などせずに頼んでみりゃよかったな。
次からはそうしよう。
それでは、また明日。
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平成24年08月05日 日曜日号
“ギャラリーしつらい<葉月>”
あたたかい日が続きます。皆様お元気ですか。
8月に入って、ギャラリーしつらい(略してギャラしつ)の原画も変わっております。
今回のテーマは「流れ」です。
この中にプレゼントの絵葉書があります。
ギャラしつに来られた際は是非茶席の冷やし抹茶、または名物アイスコーヒーで一服していってくださいませ。
それでは、また明日。
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平成24年08月04日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(8)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
寮生活は楽しかった。
週末になると誰かが泊まりに来たり、夜の街に繰り出したりした。
塚田さんという先輩のベッドの下には、いつもご実家から送られてくるチョコパイが隠してあったので、皆で内緒で食べていた。
バイトが長引くと銭湯が閉まってしまうので寮風呂になる。寮風呂というのはベランダの炊事場でホースで水浴びすることだが、冬場は本当にキツかった。
部屋に暖房がなかったので、6人部屋の真ん中に電気コンロ置いて暖をとった。
ベッドから布団が落ちて引火したら大変なことになるから、皆命がけで注意した。
2年目になると、女子禁制の寮に何故か韓国人(だったかな)のおばさん学生が一人住んでいた。
寮の前に捨ててあった自転車に乗っていたらある日のバイト帰り警察に呼び止められてそのままパトカーに乗せられ、新宿警察署に連れて行かれた。
刑事ドラマのように怖い人と優しい人が交互に取調室に来て、いろいろ取調べを受けた。自転車ドロボーの扱いだった。
一時間位で取り調べは終わったのだが、僕は当時未成年だったので、保護者か誰か成人の人が引き取りに来てくれないと帰れないよと言われた。深夜1時頃、すでに寝ていたチョコパイの塚田さんが迎えに来てくれた。有り難かった。
それ以降、チョコパイを盗み食いするのはやめた。
寮生活は楽しかったが、卒業する約半年前に出て行かなければならなくなった。学校が老朽化で取り壊しになったからだ。
仕方なしに、新宿に住んでいた京都時代の友人宅に居候することになった。
(つづく)
写真は「最近オリンピックのせいで寝不足だわ」と言っているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
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平成24年08月03日 金曜日号
“井上香奈 個展”
京都で活躍する絵描き、井上香奈の個展のご案内です。
彼女の画風はどんどんポップで良い感じになっている気がします。
芸風は全然変わらないけどね。
お時間のある方はお運びくださいませ。
詳しくはコチラをご覧ください。
本日の標語を一つ。
自分なりの世界観。
クリエーターという職業であれば独自のものを持ちたいものだ。
それでは、また明日。
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平成24年08月02日 木曜日号
“張正の絞り”
テレビを観ていたら
鶴瓶師匠が
アップで
板締め雪花絞りを
森山直太朗さんが
アップで
豆絞りを着ておられた。
張正さんの作品をこうやっていろんなところで目にするのはとてもうれしい。
絞りがいろんなチャンネルで(特にファッションで)使われていくと、あっという間に生産量が追いつかなくなる。
早くそうなればいいな。
絞りの伝統工芸士全員が、年中仕事でパツパツになる日が早く来るように願っています。
それでは、また明日。
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平成24年08月01日 水曜日号
“名古屋芸大”
この日は名古屋芸大の日。
いつも頂くお弁当。
これは本当においしい。学校の食堂とは思えないレベル。
学生作品がいろいろ展示してあった。
彼女達は帽子を作っていて、それを販売する。
この子はテノに似ていたので、激写してみた。
テノ
せっかくなので、夏休みの課題として和装に合うかぶりものを考えるよう指示を出した。
大正時代に大流行したカンカン帽はよしとして、和装にハンチングは僕の中でNGだ。
和装の世界で、カバンとかぶりものはデザイン的に完全に進化がストップしているので、自由な発想でデザインしてもらいたい。
楽しみだ。
それでは、また明日。
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またまた、名芸の美味しそうなお弁当が! ゴクッ・・・アップされた日、私は所用で名古屋市役所に行き、お昼に,たまたま庁内の食堂で日替わり弁当を食べました。 帰宅してこのページ見てびっくり。“弁当つながりや?” ワンコインで食べられるので、またの機会にどうぞ。量的にはちょっと少なめかな?あ,傾衣では目立ち過ぎかな?いやいや、いい宣伝かな?
おいしいのならば是非とも伺いたいところです。世界中どこでも傾いていきますよ!
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平成24年07月31日 火曜日号
“SOU・SOUへの道(7)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
専門学校時代はハードながら楽しかった。
学校&寮が新宿なので、土曜日の夜にはよく友人と歌舞伎町に行った。渋谷センター街にも行った。
新宿コマ劇場の1階にロッテリアがあって、そこにVIDEOジュークBOXがあった。1曲100円でPVが見られる。
当時は友人達も皆レベッカが好きで、このライブ映像を何回も見た。
今はYou Tubeのおかげで何回見てもタダだ。もう見ないけど。
ひと通り夜の歌舞伎町を練り歩いたらそのまま友達を寮に泊めて、次の日の日曜日には丸井に行ってDCブランドの服を見た。もちろん見るだけ。
DCブランドの服は、やはりバーゲンでGETするのが学生の掟だ。DCブランド最盛期のバーゲン初日は、朝から学校に出てくる学生はかなり少ない。午後から戦利品を抱えてポツポツ登校してくる生徒が増え始める。先生もそれはわかっていた。
僕は先生に「バーゲンに行って来るので午前中は休ませてください」と言ってから学校を出た。正直に言ったのがよかったのか、先生は僕を欠席扱いにしなかった。
未成年の寮生にとって先生は保護者でもある。何でも正直に相談したほうが信頼関係が生まれるのだという事を教えられた気がした。
そうこうしているうちに、ファッションおたくの僕はビンテージ古着に目覚めていくことになる。
(つづく)
写真は「あのカレー屋の姉ちゃん、名前なんていったかなー」
と思い出しているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
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若林様
この日記の時代、私は某DCブランドで販売の仕事をしていました。
その当時は、ハウスマヌカンなんて呼ばれていましたね。
お洋服が好きで好きで、お給料の殆どをお洋服につぎ込んでいました。
懐かしい時代です。
話は変わりますが、先日オリンピックの開会式を見ていて感じたのですが、
日本の選手のみなさんの服装、どうお感じになられましたか?
私は、浴衣に団扇…みたいな、如何にも日本!って感じの方が、素敵なのにな?と思いました。
SOU・SOUのお洋服だと、より一層映えるでしょうね☆
日本の選手のみなさんの服装はスターどっきり?報告の司会かと思いました。素晴らしい衣装文化を持つ日本なのですからもっと他に何かあるやろと思いますね。世界中が注目してるのですから。外交する政治家にも言えますけどね。
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平成24年07月30日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(6)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
専門学校に入って一番初めに教わったのは、針と糸の扱い方と各種手まつり。
そして、課題として最初に作ったのはズボンだった。
毎日朝から夕方まで作業をして、約1ヶ月半かかった。ほとんどミシンを使わず、手縫いの箇所が多いためだ。
洋服というのは表地と裏地の中が大切。
例えばジャケットでいうと、芯地の設計で着心地が決まってくる。衿を身体に沿わせるカーブや衿の硬さも全て芯地で決まる。
しかしながら、現在は芯地がない服が主流となってしまった。流行だとは思いますが。
ズボン作って、シャツ、ベスト、ジャケット、デザインジャケット、スーツ、タキシードを作って卒業できる。
日本メンズアパレルアカデミーには、オーダーメイド・テーラーの息子などが来ていた。オヤジの跡を継ぐ前に基礎の勉強をするのだろう。
パターンは胸寸式というのを教わった。バストサイズからいろんな部位を割り出して製図していく。DCブランド全盛の時代、この胸寸式から生まれる服の形は古臭く感じて、僕はとてもキライだった。
しかし、これを学ばないとこの学校に来た意味がないと思い、一生懸命がんばった。
(つづく)
写真は、女の子に
「今日終わってから一杯どう?」
「やだー、マスターったら」
とやってる図。
それでは、また明日。
平成24年07月29日 日曜日号
“味平(120)<なにわフレンチ Begin>”
ある御菓子屋さんの社長に連れて行って頂いた雑居ビルの中にあるお店。
なにわフレンチBegin
料理
出た!何を食べても美味しい店!内装と味にギャップがある店!
博多のあの店を思い出す。
男同士で気取らず行けて、アットホームなお店は、あるようでなかなか無い。
ご一緒させていただいた
中島大祥堂の中島社長(左)、藤本部長(中)、SOU・SOU netshopで長年お世話になっているPPnRの岩崎さん(右)。
近くにないかな、こういう店。
それでは、また明日。
平成24年07月28日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(5)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
学校へはすぐ行けた。なんといっても寮の下の階が教室だ。
授業が始まる5分前に起きて教室に入り、出席を取ってまた寮に戻る。
それからゆっくり支度をした。
しかし先生もバカではない。すぐに注意されて、その手は使えなくなった。
学校の設備は古かった。
こんなミシンや
アイロンだった。
生活費は1日950円位だった。
缶コーヒー100円(当時は100円だった。)、昼はチキンカツ弁当350円(そう考えたら今の方が弁当安いな。)、タバコ250円(ラークだった。高級品だ。)、銭湯220円(だったかな・・・)が主な内訳だ。
タバコは友人からもらうこともよくあった。
バイト先では2食のまかないが付いていたのでとても助かった。(しかし二食のうち一食、時には二食ともラーメンなのでコレステロールが高くなった。)
ラーメン屋での仕事は、新宿西口にある約100軒の雀荘に出前するというものだった。
ラーメン10杯をチャリンコで運ぶのは結構重い。
雨の日はカッパを着るのだが、なぜか内側も濡れていてビタビタで気持ち悪く、雪の日は手がかじかんで最高にツライ。
だいたい毎日朝から学校、夕方17時からはラーメン屋でバイト、23時頃に終わって弊店間際の銭湯に行って、その後課題という生活だった。
僕以外のバイトは次々に辞めていく。
ある日ラーメン屋の社長が「若林君は地方から出てきているだけあって、しっかりしているね。これからバイトは地方出身の人にするよ」とポツリとおっしゃった。
なんかうれしかった。
(つづく)
写真は「本当はバーテンやりたかったんだよなー」
とシェーカーを振るちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月27日 金曜日号
“職業人インタビュー”
京都府立園部高等学校付属中学校から、授業の一環として「職業人インタビュー」というのを実施しているのですが、受けて頂けますかとのご連絡を頂きました。
後日校長先生から依頼状を頂き、インタビューをする中学校三年生の上野さんからもきちんとした文面の依頼書が届きました。
写真は、インタビューを受けているところ。
中学三年生といってもまだまだ子供です。
将来はファッションデザイナーになりたいと言っておられました。
僕は「それなら、服作りの勉強をしなさい」と言いました。
90年代以降、素人が作る人気ブランドが急増しましたが、これからはプロフェッショナルの時代がやってくる。
美しい服が作れるように、パターン(設計)、縫製を勉強をしてもらいたい。
とても真面目で素直な学生さんでした。
それでは、また明日。
平成24年07月26日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(4)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
日本メンズアパレルアカデミーに着いたら、すぐに学校の上にある取って付けたような寮に通された。3?6人部屋が5室あって、僕は8畳位の広さに2段ベッドが3つある6人部屋だった。
自分の場所は2段ベッドの上段のみ。それにカラーボックス1個とロッカー1個が割り当てられた。冷蔵庫と洗濯機は1台を寮生全員で使った。冷暖房はなく、トイレは下の階に行って学校のものを使った。キッチンもなく、手洗い場はベランダにあった。
今から思うと、オシャレとは程遠い、とても大変な東京生活のスタートとなったが、当時はそんなこと微塵も気にしていなかった。若いという事は素晴らしいと思う。
寮生活が始まって3日目でホームシックになった。しかし無理して東京に来させてもらっていたので、めそめそしてもいられない。
そんなことより「早くバイトを探そう」と思った。生活費くらいは自分で稼がないといけないのだった。
バイトはオシャレな店に行きたいと思った。イケてる店を片っ端から探した。しかし、当時有名だった表参道のキーウェストクラブというカフェの面接に落ち、芸能人が集まるという新宿のカラオケバーにも落ち、ちょっと自信を無くしたので、方向転換して新宿西口のラーメン屋「山田屋」で出前のバイトにした。
そして、このラーメン屋で学生生活2年間ほぼ毎日お世話になることになる。
(つづく)
写真は「最近突然豪雨が降ってくるなー」と嘆いているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月25日 水曜日号
“SOU・SOUへの道(3)”
「あんた!言っとくけど姉ちゃんが東京に行ってるからって、自分も行きたいとか言いださんといてや!」
ある日、母親にそう言われた僕は、「ヤバイ、バレてるやんけ」と内心ドキドキしていました。
しかし、そんな事で憧れの東京行きを断念するわけにはいきません。
いろいろありましたが、最終的には「CHECK MATE」で見つけた日本メンズアパレルアカデミーに行けることになりました。
東京に出発する日、朝から高校の同級生が十数人京都駅まで見送りに来てくれて、新幹線に乗ってる僕に万歳三唱をしてくれました。
まるで昭和の田舎駅の光景でした。
感傷にひたる間もなく、あっという間に東京に着きました。新宿駅西口をでて、小田急ハルク前を通り過ぎる時に、「よっしゃ、やったるでー!」と心の中で叫んだのを覚えています。そこからてくてく歩いて約10分、日本メンズ・アパレルアカデミーに着きました。それはオシャレとはほど遠い、古びたビルの学校でした。そしてすぐ横にはなぜか墓場がありました。「ゲゲゲの鬼太郎」の歌の45秒あたりで出てくる墓場は多分そこだと思います。
(つづく)
写真は、ウルトラマンの真似でシュワッチをしているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月24日 火曜日号
“当選者発表”
先日ご応募いただきましたSOU・SOU×小丸屋住井 京丸団扇の当選者が発表されました。
1200名を上回るご応募を頂きました。誠にありがとうございます。
店舗分を合わせて、今年は昨年の倍の数をご用意しましたが、スタッフと協議した結果、来年はさらに100本増やそうと思います。年々人気が上がっているようです。
今後、小丸屋さんはますますいそがしくなっていくでしょうね。
最近いろんなところでコラボ京丸団扇を見ますもん。
そういえば京都造形大でも学生と一緒にやっておられました。
さすが小丸屋さんです。
それでは、また明日。
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うちわ、届きました。
ありがとうございます。
京都の華やかな風を感じられました。心地よいです。
大切にしますね。
おめでとう御座います。万一破れてしまっても有償で修理をしてくれるのが小丸屋さんのいいところ。楽しんで下さいませ。
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平成24年07月23日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(2)”
DCブランドの服を身に纏い、オシャレを楽しんでいた高校生の僕は、次第にファッション業界へ憧れをもつようになりました。そして、アパレル業界に入るには、ファッション専門学校に行かねばなるまいと考えておりました。
当時、日本のファッションの中心は、当然京都ではない、大阪でもない、東京だ!と強く思っていた僕は、なんとしても東京の専門学校に行きたいと企んでいたのでした。
しかしながら、ウチは裕福ではなかったのと、すでに姉が東京のヘアメイク専門学校に通っていたので、資金的に親に迷惑をかけられないなと思い、寮がある学校を前提に探しておりました。
そうこうしているうちに、当時愛読していた「CHECK MATE」(現廃刊)をパラパラ見ていたら、たまたま新宿にあった日本メンズ・アカデミー(現廃校)という専門学校が小さく載っているのを見つけました。
「日本で唯一のオーダーメイド紳士服の専門学校です。パターンメイキングを身に付けるならオススメ!」と書いてありましたが、そんなことはどうでも良く、「寮有り」という言葉に釘付けになりました。しかも、学校の上に。
新宿に住めるかもー!とワクワクしていました。高3の夏でした。
(次回に続く)
写真は「あのカップル、なにイチャついとんねん」と睨みをきかしているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月22日 日曜日号
“袖なしジバンについての大切なお知らせ”
ご好評頂いております袖なしジバンですが
実はこの水玉大 濡羽色×つくも2に不具合がみつかりました。
一度洗濯しただけで穴が開いてしまったというクレームがきたのです。
アップで
これは染め加工中に付いた汚れをブリーチ剤で落としたそうなのですが、ブリーチ剤がとても強いもので、綿をボロボロにしてしまったのです。
本当にごく一部だと思いますが、万一お客様のお手元に同様のものがございましたら、大変お手数ではございますが、お求め頂いた店舗にご一報いただけると幸いです。
至急新しいものと交換させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
最後に1つお知らせが。
23日(月)12時30分?13時再放送のNHK BSプレミアム「恋する雑貨」という番組でSOU・SOU足袋と布袋がチラッと映ります。
もしよろしければご覧ください。
それでは、また明日。
- コメント
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SOUSOUがだいすきです。
でも、今日の記事は違和感を感じます。
商品の不良についてのお知らせだとおもうのですが、
クレームが、きたのです。
というのは、その商品を持ち込んだ方に失礼ではないでしょうか。
少なくとも、クレームがきたと表現するのは、社内の会話ならわかりますが、客相手には、使わないのではないでしょうか。
こういったことをかくのは、心苦しいですが、
いつも、たのしみに記事をみてたのも、わかってください。わたしはSOUSOUさん、とても好きです
コメントありがとうございます。仰るとおりですね。普段言葉遣いを注意している身なのにお恥ずかしい限りです。以後注意いたします。
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欲しいです
藤本 美佐緒 様
コメント頂きありがとうございます。
こちらの標語が書かれたものは弊社の商品ではなく
PHPさんが発売している松下幸之助さんの日々の言葉をまとめた日めくりカレンダーの2010年度版でございます。
長年SOU・SOUのスタッフルームに飾られており時折その言葉にハッと気付かされるカレンダーです。
2018年度版もPHPさんの方で発売されているようですので是非検索してみてくださいませ。
http://shop.php.co.jp/php/goods/index.html?ggcd=839162&cid=Thimekuri