平成24年09月03日 月曜日号
“京都新聞”
8月30日号に脇阪さんの記事が載っていました。
本人の写真は撮らないという条件での取材でしたので、代わりにお店をのっけて下さったようです。
SOU・SOU的にはラッキー。
脇阪さん(ハッサンはワッキーと呼ぶ)は、先日68歳の誕生日を迎えられました。
ご自身は、もうそろそろスローダウンしていくご意向なようですが、お客様の反応は
「まだまだこれからのSOU・SOUに期待してまっせ!」
という風潮。
ワッキーには今までよりゆっくりと仕事していってもらいつつも、僕をはじめスタッフはますます倍速で突き進んでいくことを目標としよう。
それでは、また明日。
平成24年09月02日 日曜日号
“卒業”
先日AKB48は前田敦子が大々的に卒業し、日本中の話題をさらっていましたが、SOU・SOUでは8月末で事務所スタッフの岩(ガン)がひっそりと卒業しました。
前田敦子より2年長い丸9年の間がんばってくれた。
彼女とはいろいろあったが、本当によくついてきてくれたと思う。
SOU・SOU東京店オープニングスタッフを募集して誰も集まらなかった時代から、大手企業からオファーをもらえるようになった今日まで、ケチョンケチョンに怒られ続けながらもなんとか耐えて続けてきた。
前田敦子同様、途中辞めたいと言われた時もあったが、中京区の秋元康と呼ばれる僕はしらばっくれていた。
スタッフに「今までで一番辛かったことは?」と聞かれて「若林さんに面と向かって『お前のことキライや』って言われたことです」と答えていた。
「お前のことキライや」なんて、僕も愛情あるセリフを言ったものだ。
僕が部下を注意する時というのは、ミスをした時あるいは自分に都合の良い報告をしようとした時がほとんどだと思う。
その時も多分「そういう報告の仕方をするお前のことがキライや」と言ったのではないかと思っている。
つまり、キライと言ったとしてもその人そのものがキライという意味ではない。
それに9年間も一緒にいたら夫婦でも一度や二度は「アンタなんかキライ」と言われるもの。僕なんかつい最近もカミサンにそう言われたばかりである。
まーそれにしても辞めると決まってからの数ヶ月の仕事っぷりは大したもので、何でもっと前からこうしてくれへんかったんやと思ってしまうほどだった。そういうものかもしれませんが。
岩(ガン)はこれから一人で地元・岡山で仕事をしていくとの事ですが、何かあったらまた手伝ってもらおうと思う。
SOU・SOUなんてまだまだこれからの小さな会社ですが、その始まりから全てを知っている貴重な一人です。
ロゴデザイン、テキスタイル配色、ネーミング、パターン出し、生産管理、販売etc.
がむしゃらに9年間走ってきた彼女のもっている技術と経験は、とても価値があるはずである。
是非これからも岩(ガン)ばってほしい。
おつかれさまでした。
それでは、また明日。
平成24年09月01日 土曜日号
平成24年08月31日 金曜日号
“味平(122)<点邑/葉月のお弁当>”
8月のお弁当は
うなぎ寿司でした。
いつもハイクオリティです。
こちらは先日うかがった麩嘉さんの「水の会」。
おいしい水割りウイスキーを飲む会だそうです。
僕は飲めませんが。
和笑の小堀さんに誘われて
いい感じで出来上がっておられます。
木村さんも
さすが麩嘉さんですね。大勢の人が来られていました。
聞くところによると、NYにもお店を出されたそう。
こちらもさすがです。
最後に一つお知らせを。
先日放送されたNHKワールドが9/4(月)に再放送されるそうです。
担当ディレクターの方曰く「NHKの中でも反応が良く、海外からも評判も良かった」のだそう。
前回見逃された方、よろしければご笑覧ください。
それでは、また明日。
平成24年08月30日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(14)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
NYでは家庭教師をつけた。英語が全く話せなかったからだ。
朝は8時からアメリカ人の先生に、夜は橋本さんに英語を教わった。
英語は文法や発音はどうでもいい。
おどおどせずに、とにかくしゃべることが大事だと感じた。
実際アメリカにはろくに学校に行っていない人も大勢いるし、文字が書けない人もいっぱいいる。人種のルツボ(「ルソンの壺」を略しているわけではない)と言われるNYでは、スパニッシュ、チャイニーズ等、英語の発音がむちゃくちゃで全然聞き取れない人もいっぱいいた。
ネイティブの英語にこだわるのは、日本人のクセだと思う。
基本的に毎日朝から橋本さんの事務所に出勤した。少し仕事も手伝った。だらだらしたくないと思ったからだ。
昼からはマンハッタン中を歩き回った。
フットロッカー、GAP、バーニーズ、五番街、その他有名ショップを見て回った。
日曜日は朝からフリーマーケットに行った。
ビンテージの掘り出し物がたくさんあって楽しかった。
ある日、もっと効率良くいろんなところに行きたいと思ったので、自転車を買った。
支払いが終わって店員がタイヤの空気を入れているのだが、前輪の空気が全然入らない。どうやらパンクしているらしい。
しかし、この店ではパンク修理が出来ないとのこと。仕方がないので修理が出来る店を教えてもらい、前輪を少し浮かせ気味にして押しながらとぼとぼ歩いた。
そしてそのお店に着いたのだが、修理は出来ないと言われた。なんで?
結局、雪が降る中3時間くらい修理の出来る自転車屋を探し、やっと見つけて直してもらい、ようやく自転車に乗って事務所のビルに戻ってきた。
自転車をとめて超太いチェーンで電柱にぐるぐる巻きにしてカギをかける。これがNYだと思った。
事務所に戻って、その日の出来事を橋本さんに話していたら、「自転車、ヤバイよ!」と言われた。
慌てて外に出てみると、自転車は消えていた。ぶっといチェーンはパッキリと切断されていた。
雪の中、3時間前輪を少し浮かせて押して歩いて、乗ったのはたったの15分。これがNYかと思った。
(つづく)
写真は、最近疲れ過ぎてお湯を入れながら眠っているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年08月29日 水曜日号
“TVにて”
ビートたけしの番組を観ていたら、BanK Bandが歌っていて
ステージが引きで映ったとき、何やら見覚えのある絵が
アップで
出た。またしてもキーヤンではないか。
キーヤンの鯉は、もはや日本を代表する図柄になったな。
あとはMoMAにでも永久保存されるだけだ。
そしてもう一つは、とんねるずの「食わず嫌い王決定戦」
五輪メダリスト対決だった。
テーブルが映った時、ナプキン代わりにSOU・SOU×荒川益次郎の小風呂敷が皿の上に
置いてあるのは気づいていた。
水泳の寺川選手の方には宮美
フェンシングの太田選手の方には青和
料理が出てきて、ナプキンを広げるときにでも映ればなーと思っていたけど、そうはいかなかった。
しかし、太田選手が寺川選手に一言つっこみを入れ、寺川選手が一言「しつこい」と返した時
太田選手が膝にあったナプキン、いや、SOU・SOU×荒川益次郎の小風呂敷でバッと顔を隠した!
チラッ
やってくれました寺川選手。この一言のおかげで奇跡的に全国ネットに映りました。
そして太田選手は荒川益次郎コラボと判るように、風呂敷ミミ部分の縞模様を折って見せる
というパフォーマンス付き。ラッキーでした。
おしまい。
それでは、また明日。
平成24年08月28日 火曜日号
“建仁寺にて”
皆集まったら行くぞ
ゾロゾロ
ゾロゾロ
着いた。建仁寺 両足院
美しい庭
濡れ縁
ジャーン。今日はここで全員座禅だ。
はじめに和尚さんの話を聴いて
拍子木の音で座禅開始
とても良い時間であった。前回妙心寺でやった時よりも無になれた。
これは定期的にやってみよう。
記念に1枚
帰り道
いつもの四条河原町
それでは、また明日。
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いつも楽しく拝見させていただいています。お寺などももちろん貴重ですが 若林さまとスタッフさんの日常着 を拝見できるのは とても有難いです。商品ページよりも カラフルで 個性がでて 楽しいです。意外な組み合わせもあり 勉強になります。
以前お店に伺ったとき スタッフがとても身近に感じることができたのも HPの皆さんのブログの更新のおかげでございます。ありがとうございます。
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平成24年08月27日 月曜日号
“韓国よりお客様”
韓国の谷城(コクソン)郡より13名のお客様がいらっしゃいました。
織物業に携わっておられる方々のツアーだそうです。
伊勢木綿にて
「伊勢木綿テスゴインダナー」
傾衣にて
「コンナ傾イタミセハ 韓国ニハナイネー」
しつらいにて
「ナンテPOPナテキスタイルナンダ」
足袋屋にて
「コンナハキモノ ミタコトナイネー」
布袋にて
「フロシキッテ スゴイナー」
ルコックにて
「コンナカジュアルナラインナップモアルノカ・・・」
全店チェックされた後、何やらゴソゴソ取り出して
「コッチニキテクダサイ」
「ハイ、クグッテー」
「ココ、モッテー」
「ハイ、イイデスカー」
「ポーズ!」
横断幕には「SOU・SOUの発展をお祈りしています」と書かれている。(ウソ)
SOU・SOUのような店が韓国にもあればいいなーと言っておられたので、
「あなた方がやればいいんじゃないですか」
と答えておきました。
韓国の人は勉強熱心だと思います。
それでは、また明日。
平成24年08月26日 日曜日号
平成24年08月25日 土曜日号
“北山のとあるお店にて”
とある中年男性のブログを見て気になっていたハンバーガー屋に行った。
私の席の右斜め前45度に小学校高学年と思われる女の子とその母親らしき女性が座っていて、
iPhoneを見ながら何やら楽しげに話していた。
「ママこれ見てー」
「え、何コレちょっと!」
「小学生がこんなの見ちゃダメじゃないー」
こっそり上からのぞくと、なんとBEAUTY MAKERを見ていたのだった。
その後、ハンバーガーの写真を撮り
娘さんは6分強で食べ終わったと思いきや
母親の方が「今夜マスターは京セラドームだから帰りが遅いねー」とiPhoneで時刻表を
チェックしながら娘と話していた。
推測するに、ご主人は喫茶店のようなものを経営されていて、多分タイガースファンで、
この日は京セラドームにナイターを見に行っていたのだろう。
京都北山のとあるハンバーガー屋での出来事であった。
それでは、また明日。
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んで、ハンバーガーの味はどうだったんですか?
バーガーカンパニーさんのハンバーガーは旨い。
けっこう大きなサイズなのに、ウチの小さなかみさんはペロッと一つ食べてしまい、さらにフライドポテトも完食。
それを見ていた店の人に「とある中年男性さんよりもよく食べますね」と、言われたが、うちのかみさんは、ともかく美味しくなかったら一口食べて、「これ、あなたにあげる」なんて言うくせに、美味しいと思ったら、絶対に完食してしまうところがある。
彼女にとっても、ここのハンバーガーは、かなり美味しかったのだろう。
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平成24年08月24日 金曜日号
“SOU・SOUへの道(13)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
パターンナー時代、お盆と正月は京都に帰っていた。
京都に帰った時も地元の古着屋チェックは怠らなかった。
あるとき京都に新しい古着屋が出来たとのウワサを聞いて、早速行ってみた。
独特のセレクト&価格の安さで、一発でそのお店が気に入ってしまった。
聞くところによると3人でお店をやっていて、そのうち1人はNYに住んでおられるという。
次にその店に行った時にたまたまNY在住の人がおられた。
バイヤーの橋本さんという方だった。
僕は店の人と仲良くなることが少ないほうだと思うのですが、初めて会った橋本さんに「もしNYに行ったら案内して頂けますか」と何気にアポを取っていた。
橋本さんは「いいですよー」と言ってくれた。(そりゃーそう言いますわな、普通)
そして、本当に行きました。
初めて行ったNYは、本当に刺激的で楽しくて、興奮しました。
「これはイケる!」と思いました。
その半年後に会社を辞めました。
そしてすぐにまたNYに来て、今度は橋本さん宅に2ヶ月間居候することになりました。
(まだ1度しか会ったことのない人の家に居候するなんて、今の僕には考えられません・・・)
写真は、京名物「四つ葉のタクシー」
本日、みなさんに良いことがありますように。
それでは、また明日。
平成24年08月23日 木曜日号
“傾き者 in パリ”
先日、某ブランドがパリで展示会をされたそうです。
その時のスタッフの方は、皆さんSOU・SOU傾衣でかましてくださったそうです。
そのリーダー格、尼口さんから写真をGETしました。
展示会場にて1枚
パリらしい街並みの中で1枚
大通りの前でチャーミングに1枚
イカレた感じで1枚
パリジェンヌはきっと恐がってだれも近寄って来なかったことでしょう。
僕も知り合いでなかったら目をそらします。
これからもますます傾いていってくださいませ。
それでは、また明日。
平成24年08月22日 水曜日号
“お知らせ”
僕は1年に1回くらい新幹線のグリーン車に乗ります。
EXカードのポイントが貯まって、タダでアップグレード出来るのです。
新幹線のグリーン車には2冊の雑誌があります。
1冊は時代の先端を行く(車内アナウンスより)「WEDGE」、そしてもう一冊がこの「ひととき」
今回、「ひととき」の表紙に手ぬぐい名刺入れを載せて頂きました。ありがとうございます。
グリーン車に乗っておられるような年配のおじさんにもバッチリオススメのこのアイテム。
名刺交換の時、相手の方に「カワイイですねー」と必ず言わせてみせます。
「ひととき」は1ヶ月間グリーン車に設置されていると思いますので、乗られた方はチェックしてみてください。
もう一つはこのポーチ。
こちらは名古屋おもてなし武将隊のファンクラブ向けノベルティですが、SOU・SOUで作らせていただきました。
素材は綿裏毛。文様あそびの中には武将隊のロゴマーク入り。
いろんなところからお声をかけて頂きまして本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
それでは、また明日。
平成24年08月21日 火曜日号
“第二回 数奇者の会”
エクソシストだけでなく、女衆のプリクラはこんな仕上がりだったようだ。
もちろん我々男衆もBEAUTY MAKERにはお世話になっている。
仕上がりはこちら
さすがはBEAUTY MAKERだ。おめめも大きく、男衆が美しく仕上がっている。
(この写真はくれぐれもネット流出以外の目的には使わないでください)
というプロローグを経て、向かった先は703号室
ミーシャでスタートだ
シャウトする徳治
ラップのヨシザキ
野口五郎のナンバーを歌うのはカツ
そして、アンルイスを熱唱するのは
SOU・SOUの歌姫ヤマ!立ち上がってシャウトする
シーモオーカーはダンス付きだ
アラキは振り子のように歌う
netshopからはタッキーが参戦。LOVE PSYCHEDELICOが十八番だ。
社長が歌っている時
ヨシザキはあくびをして
寝ていた
というわけで、第二回カラオケ数奇者の会は大盛り上がりで終了したのだった。
次は年末だな。
それでは、また明日。
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み・みなさん!!
す・すごすぎますっ!!
プリクラ・・・あまりのインパクトに欲しい様な欲しくない様な?
「魔除け」になりますかねぇ(笑)
カラオケも楽しそう♪
こんなSOU・SOU好きだな?(^^)
恥らいなく素の部分をさらけ出すのがSOU・SOUのいいところ!アホなことやってんなーと笑って頂けたら幸いですー。
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平成24年08月20日 月曜日号
“王将からのBEAUTY MAKER”
柳小路から
河原町へ
向かった先は京都餃子の王将
乾杯して
食べて
「あっ!もうこんな時間やないか!!」
次に向かうは
スーパージャンカラ プレミアム
まずはプリクラだ。「この美しさ独りじめ BEAUTY MAKER」とある
しかし、SOU・SOU女衆はこのマシーンの使い方があまりわからないようだ。
がやがや騒がしいと思ったら
シーモオーカーがエクソシストになっている
BEAUTY MAKERに対しての挑戦状か。
それともただの心霊写真か。
(つづく)
それでは、また明日。
平成24年08月19日 日曜日号
“東海テレビ スーパーニュース”
東海テレビのスーパーニュースという番組の取材を受けました。
SOU・SOUの服の説明をしています。
レポーターの方が浴衣を着てみたいという話になったので、傾衣へ移動
傾衣にキーヤンを着た傾いているお客様がおられたのでインタビュー
張正さんの板締め浴衣にチェンジ
もう一度私服に戻って
張正の手ぬぐいを説明し
オオトリはまり木綿を説明しました。
この後、そのまま有松のまり木綿に取材に行かれました。
大人気やな、まり木綿。
放送は20日(月)16:49?19:00。「きにナール!」というコーナーで取り上げて頂く予定です。
残念ながら京都では番組を観ることが出来ないのですが、東海地方の方はご笑覧頂けると幸いです。
それでは、また明日。
- コメント
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この取材の事は、「まり木綿」のホームページでも取り上げていたので既に、ビデオセットしましたぁ☆
明日が楽しみです!!
そういえば・・・・お盆前に またまた実姉が、お邪魔したとか?
お盆に実家に行った時に「若林さんと沢山喋って来ちゃったぁ!」と興奮気味に報告がありました・・(^^;)
お世話お掛けしました!!
「きにナール』見ました! ”お?、” と歓声をあげて見ていましたよ。商品よりも、若林さんの声が、まさに「きにナール』でした。未だにお会いしたことがないので・・・声があまり良くないと、以前仰っていましたが、優しくていいお声だとおもいますよ。定村さんもちらっと写っていましたね。またいつか、お店に伺います。
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平成24年08月18日 土曜日号
“GION MOJO WEST”
例のイベントに行ってきました。
場所は四条祇園マハラジャ跡のビル
4Fが新生MOJO WEST
入ったらいきなりキーヤンでお出迎え。昔北山にあった時と同じくヒョウの壁画だ。
ライブ前は、この2人の前座トークでスタート。
木村英輝&越前屋俵太はグッドコンビと言える。
この2人でトークライブやったら、そこそこお客さん入ると思う・・・。
それにしても、キーヤンがスポットのせいか白く飛んでしまって幽霊の様だ。
こちらはミッキー・カーチスのライブ
中央のミッキー・カーチスは、これまたスポットのせいかもう光の玉になってしまっている。
ある種の心霊写真と言えるかも・・・。
それでは、また明日。
平成24年08月17日 金曜日号
“SOU・SOU×日吉屋 和日傘”
ご好評頂いておりますSOU・SOU×日吉屋 和日傘
早くも在庫が薄くなっている柄があるようです。
浴衣はもちろんですが、SOU・SOUスタイルにこれをもったらたまらんです。傾衣にもチリバツです。
この傘をさして街を歩いたら目立つこと間違いないでしょう。
それにしても和傘と洋傘は何もかもが逆。おもしろいです。
結局、西洋とはいろんなことが逆なんですね。
日本では苗字が始め、アメリカでは苗字は後に言う。
日本の車は右ハンドル、アメリカの車は左ハンドル。
日本では白黒と言い、アメリカではBlack&Whiteと言う。
日本の下駄は左右がないけど、アメリカのシューズは左右がある。
日本の足袋は左右があるけど、アメリカのソックスは左右がない。
外国の人と上手く付き合えなくても、仕方がない。
逆なんだもの。
それでは、また明日。
平成24年08月16日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(12)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
DCブランドの快進撃は90年代に入って翳りを見せはじめる。
勤めていた会社の売上げも落ち始めた。
そうすると途端にいろんなところを節約し始める。
コピーの数もチェックされ、トイレットペーパーの使用量もチェックされた。
その頃渋谷では渋カジなるカテゴリーが生まれ、新しいジャンルのファッションが流行した。当時日本に入ってきていないアメリカブランド(例えばGAP等)をアメリカのショップで買い付けて日本で3倍くらいの値段を付けて売るというスタイルのセレクトショップが出来始めた。
僕は「こんな商売があるのか」と思った。
しかしなんとなくDCブランドの服よりインポート物の方が本物感があるなと思った。
そりゃそうだ。アメリカ現地で売っているものなのだから。
そうこうしているうちに「アメリカに行かねば」という気持ちがフツフツと沸いてきた。
入社5年目のGWに会社の人に黙ってNYに行った。そこで人生の転機が訪れることになる。
(つづく)
写真は、きくまるの浴衣を着て傾いているつもりが、売れない演歌歌手に見えてしまったシーモオーカー。
それでは、また明日。
平成24年08月15日 水曜日号
“SOU・SOUへの道(11)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
DCブランドで働く少し前から、ファッションの興味の対象はビンテージ古着にも飛び火した。
リーバイスや軍モノ、スカジャン、スニーカー、ジッポ、カレッジリング等、アメリカやヨーロッパの古いものがどんどん好きになっていく。
そして、そのちょっと後にビンテージブームがやってきた。
レアな古着はどんどん値段が吊り上がり、501XXは10万円を軽く超えていく。
それ以外にもレアで人気のある古着アイテムは、やはり10万円以上した。
あまり値段が高くない時を知っているので、ビンテージバブルの時は買う気が失せていた。
それでも毎日毎日、お昼休みには10分でご飯を食べて、残り50分で古着屋めぐりをしていた。
チャリンコを飛ばして、1店舗あたり5?10分でチェックする。店員さんとは話さない。タイムロスになるからだ。
そうやって5?7軒くらい見て回って昼休みが終わる。
仕事が終わって家に帰ったら、コンビニで買った冷凍ピザを食べながらビールを片手にベッドに寝転がってファッション雑誌を見るのが何より楽しかった。
そしてAM3:00頃寝る。
そんな毎日を過ごしていた。
(つづく)
写真は、ビンテージのリーバイスのセカンドを袖をちぎって着ているヤテ。
507XXの袖を引きちぎってやったぜぃ。スギちゃんよりワイルドだろ??
それでは、また明日。
脇阪さんおめでとうございます!
現代の葛飾北斎になるはずです。
あるいは神坂 雪佳ですね。