平成24年08月03日 金曜日号
“井上香奈 個展”
京都で活躍する絵描き、井上香奈の個展のご案内です。
彼女の画風はどんどんポップで良い感じになっている気がします。
芸風は全然変わらないけどね。
お時間のある方はお運びくださいませ。
詳しくはコチラをご覧ください。
本日の標語を一つ。
自分なりの世界観。
クリエーターという職業であれば独自のものを持ちたいものだ。
それでは、また明日。
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平成24年08月02日 木曜日号
“張正の絞り”
テレビを観ていたら
鶴瓶師匠が
アップで
板締め雪花絞りを
森山直太朗さんが
アップで
豆絞りを着ておられた。
張正さんの作品をこうやっていろんなところで目にするのはとてもうれしい。
絞りがいろんなチャンネルで(特にファッションで)使われていくと、あっという間に生産量が追いつかなくなる。
早くそうなればいいな。
絞りの伝統工芸士全員が、年中仕事でパツパツになる日が早く来るように願っています。
それでは、また明日。
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平成24年08月01日 水曜日号
“名古屋芸大”
この日は名古屋芸大の日。
いつも頂くお弁当。
これは本当においしい。学校の食堂とは思えないレベル。
学生作品がいろいろ展示してあった。
彼女達は帽子を作っていて、それを販売する。
この子はテノに似ていたので、激写してみた。
テノ
せっかくなので、夏休みの課題として和装に合うかぶりものを考えるよう指示を出した。
大正時代に大流行したカンカン帽はよしとして、和装にハンチングは僕の中でNGだ。
和装の世界で、カバンとかぶりものはデザイン的に完全に進化がストップしているので、自由な発想でデザインしてもらいたい。
楽しみだ。
それでは、また明日。
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平成24年07月31日 火曜日号
“SOU・SOUへの道(7)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
専門学校時代はハードながら楽しかった。
学校&寮が新宿なので、土曜日の夜にはよく友人と歌舞伎町に行った。渋谷センター街にも行った。
新宿コマ劇場の1階にロッテリアがあって、そこにVIDEOジュークBOXがあった。1曲100円でPVが見られる。
当時は友人達も皆レベッカが好きで、このライブ映像を何回も見た。
今はYou Tubeのおかげで何回見てもタダだ。もう見ないけど。
ひと通り夜の歌舞伎町を練り歩いたらそのまま友達を寮に泊めて、次の日の日曜日には丸井に行ってDCブランドの服を見た。もちろん見るだけ。
DCブランドの服は、やはりバーゲンでGETするのが学生の掟だ。DCブランド最盛期のバーゲン初日は、朝から学校に出てくる学生はかなり少ない。午後から戦利品を抱えてポツポツ登校してくる生徒が増え始める。先生もそれはわかっていた。
僕は先生に「バーゲンに行って来るので午前中は休ませてください」と言ってから学校を出た。正直に言ったのがよかったのか、先生は僕を欠席扱いにしなかった。
未成年の寮生にとって先生は保護者でもある。何でも正直に相談したほうが信頼関係が生まれるのだという事を教えられた気がした。
そうこうしているうちに、ファッションおたくの僕はビンテージ古着に目覚めていくことになる。
(つづく)
写真は「あのカレー屋の姉ちゃん、名前なんていったかなー」
と思い出しているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
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若林様
この日記の時代、私は某DCブランドで販売の仕事をしていました。
その当時は、ハウスマヌカンなんて呼ばれていましたね。
お洋服が好きで好きで、お給料の殆どをお洋服につぎ込んでいました。
懐かしい時代です。
話は変わりますが、先日オリンピックの開会式を見ていて感じたのですが、
日本の選手のみなさんの服装、どうお感じになられましたか?
私は、浴衣に団扇…みたいな、如何にも日本!って感じの方が、素敵なのにな?と思いました。
SOU・SOUのお洋服だと、より一層映えるでしょうね☆
日本の選手のみなさんの服装はスターどっきり?報告の司会かと思いました。素晴らしい衣装文化を持つ日本なのですからもっと他に何かあるやろと思いますね。世界中が注目してるのですから。外交する政治家にも言えますけどね。
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平成24年07月30日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(6)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
専門学校に入って一番初めに教わったのは、針と糸の扱い方と各種手まつり。
そして、課題として最初に作ったのはズボンだった。
毎日朝から夕方まで作業をして、約1ヶ月半かかった。ほとんどミシンを使わず、手縫いの箇所が多いためだ。
洋服というのは表地と裏地の中が大切。
例えばジャケットでいうと、芯地の設計で着心地が決まってくる。衿を身体に沿わせるカーブや衿の硬さも全て芯地で決まる。
しかしながら、現在は芯地がない服が主流となってしまった。流行だとは思いますが。
ズボン作って、シャツ、ベスト、ジャケット、デザインジャケット、スーツ、タキシードを作って卒業できる。
日本メンズアパレルアカデミーには、オーダーメイド・テーラーの息子などが来ていた。オヤジの跡を継ぐ前に基礎の勉強をするのだろう。
パターンは胸寸式というのを教わった。バストサイズからいろんな部位を割り出して製図していく。DCブランド全盛の時代、この胸寸式から生まれる服の形は古臭く感じて、僕はとてもキライだった。
しかし、これを学ばないとこの学校に来た意味がないと思い、一生懸命がんばった。
(つづく)
写真は、女の子に
「今日終わってから一杯どう?」
「やだー、マスターったら」
とやってる図。
それでは、また明日。
平成24年07月29日 日曜日号
“味平(120)<なにわフレンチ Begin>”
ある御菓子屋さんの社長に連れて行って頂いた雑居ビルの中にあるお店。
なにわフレンチBegin
料理
出た!何を食べても美味しい店!内装と味にギャップがある店!
博多のあの店を思い出す。
男同士で気取らず行けて、アットホームなお店は、あるようでなかなか無い。
ご一緒させていただいた
中島大祥堂の中島社長(左)、藤本部長(中)、SOU・SOU netshopで長年お世話になっているPPnRの岩崎さん(右)。
近くにないかな、こういう店。
それでは、また明日。
平成24年07月28日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(5)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
学校へはすぐ行けた。なんといっても寮の下の階が教室だ。
授業が始まる5分前に起きて教室に入り、出席を取ってまた寮に戻る。
それからゆっくり支度をした。
しかし先生もバカではない。すぐに注意されて、その手は使えなくなった。
学校の設備は古かった。
こんなミシンや
アイロンだった。
生活費は1日950円位だった。
缶コーヒー100円(当時は100円だった。)、昼はチキンカツ弁当350円(そう考えたら今の方が弁当安いな。)、タバコ250円(ラークだった。高級品だ。)、銭湯220円(だったかな・・・)が主な内訳だ。
タバコは友人からもらうこともよくあった。
バイト先では2食のまかないが付いていたのでとても助かった。(しかし二食のうち一食、時には二食ともラーメンなのでコレステロールが高くなった。)
ラーメン屋での仕事は、新宿西口にある約100軒の雀荘に出前するというものだった。
ラーメン10杯をチャリンコで運ぶのは結構重い。
雨の日はカッパを着るのだが、なぜか内側も濡れていてビタビタで気持ち悪く、雪の日は手がかじかんで最高にツライ。
だいたい毎日朝から学校、夕方17時からはラーメン屋でバイト、23時頃に終わって弊店間際の銭湯に行って、その後課題という生活だった。
僕以外のバイトは次々に辞めていく。
ある日ラーメン屋の社長が「若林君は地方から出てきているだけあって、しっかりしているね。これからバイトは地方出身の人にするよ」とポツリとおっしゃった。
なんかうれしかった。
(つづく)
写真は「本当はバーテンやりたかったんだよなー」
とシェーカーを振るちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月27日 金曜日号
“職業人インタビュー”
京都府立園部高等学校付属中学校から、授業の一環として「職業人インタビュー」というのを実施しているのですが、受けて頂けますかとのご連絡を頂きました。
後日校長先生から依頼状を頂き、インタビューをする中学校三年生の上野さんからもきちんとした文面の依頼書が届きました。
写真は、インタビューを受けているところ。
中学三年生といってもまだまだ子供です。
将来はファッションデザイナーになりたいと言っておられました。
僕は「それなら、服作りの勉強をしなさい」と言いました。
90年代以降、素人が作る人気ブランドが急増しましたが、これからはプロフェッショナルの時代がやってくる。
美しい服が作れるように、パターン(設計)、縫製を勉強をしてもらいたい。
とても真面目で素直な学生さんでした。
それでは、また明日。
平成24年07月26日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(4)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
日本メンズアパレルアカデミーに着いたら、すぐに学校の上にある取って付けたような寮に通された。3?6人部屋が5室あって、僕は8畳位の広さに2段ベッドが3つある6人部屋だった。
自分の場所は2段ベッドの上段のみ。それにカラーボックス1個とロッカー1個が割り当てられた。冷蔵庫と洗濯機は1台を寮生全員で使った。冷暖房はなく、トイレは下の階に行って学校のものを使った。キッチンもなく、手洗い場はベランダにあった。
今から思うと、オシャレとは程遠い、とても大変な東京生活のスタートとなったが、当時はそんなこと微塵も気にしていなかった。若いという事は素晴らしいと思う。
寮生活が始まって3日目でホームシックになった。しかし無理して東京に来させてもらっていたので、めそめそしてもいられない。
そんなことより「早くバイトを探そう」と思った。生活費くらいは自分で稼がないといけないのだった。
バイトはオシャレな店に行きたいと思った。イケてる店を片っ端から探した。しかし、当時有名だった表参道のキーウェストクラブというカフェの面接に落ち、芸能人が集まるという新宿のカラオケバーにも落ち、ちょっと自信を無くしたので、方向転換して新宿西口のラーメン屋「山田屋」で出前のバイトにした。
そして、このラーメン屋で学生生活2年間ほぼ毎日お世話になることになる。
(つづく)
写真は「最近突然豪雨が降ってくるなー」と嘆いているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月25日 水曜日号
“SOU・SOUへの道(3)”
「あんた!言っとくけど姉ちゃんが東京に行ってるからって、自分も行きたいとか言いださんといてや!」
ある日、母親にそう言われた僕は、「ヤバイ、バレてるやんけ」と内心ドキドキしていました。
しかし、そんな事で憧れの東京行きを断念するわけにはいきません。
いろいろありましたが、最終的には「CHECK MATE」で見つけた日本メンズアパレルアカデミーに行けることになりました。
東京に出発する日、朝から高校の同級生が十数人京都駅まで見送りに来てくれて、新幹線に乗ってる僕に万歳三唱をしてくれました。
まるで昭和の田舎駅の光景でした。
感傷にひたる間もなく、あっという間に東京に着きました。新宿駅西口をでて、小田急ハルク前を通り過ぎる時に、「よっしゃ、やったるでー!」と心の中で叫んだのを覚えています。そこからてくてく歩いて約10分、日本メンズ・アパレルアカデミーに着きました。それはオシャレとはほど遠い、古びたビルの学校でした。そしてすぐ横にはなぜか墓場がありました。「ゲゲゲの鬼太郎」の歌の45秒あたりで出てくる墓場は多分そこだと思います。
(つづく)
写真は、ウルトラマンの真似でシュワッチをしているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月24日 火曜日号
“当選者発表”
先日ご応募いただきましたSOU・SOU×小丸屋住井 京丸団扇の当選者が発表されました。
1200名を上回るご応募を頂きました。誠にありがとうございます。
店舗分を合わせて、今年は昨年の倍の数をご用意しましたが、スタッフと協議した結果、来年はさらに100本増やそうと思います。年々人気が上がっているようです。
今後、小丸屋さんはますますいそがしくなっていくでしょうね。
最近いろんなところでコラボ京丸団扇を見ますもん。
そういえば京都造形大でも学生と一緒にやっておられました。
さすが小丸屋さんです。
それでは、また明日。
- コメント
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うちわ、届きました。
ありがとうございます。
京都の華やかな風を感じられました。心地よいです。
大切にしますね。
おめでとう御座います。万一破れてしまっても有償で修理をしてくれるのが小丸屋さんのいいところ。楽しんで下さいませ。
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平成24年07月23日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(2)”
DCブランドの服を身に纏い、オシャレを楽しんでいた高校生の僕は、次第にファッション業界へ憧れをもつようになりました。そして、アパレル業界に入るには、ファッション専門学校に行かねばなるまいと考えておりました。
当時、日本のファッションの中心は、当然京都ではない、大阪でもない、東京だ!と強く思っていた僕は、なんとしても東京の専門学校に行きたいと企んでいたのでした。
しかしながら、ウチは裕福ではなかったのと、すでに姉が東京のヘアメイク専門学校に通っていたので、資金的に親に迷惑をかけられないなと思い、寮がある学校を前提に探しておりました。
そうこうしているうちに、当時愛読していた「CHECK MATE」(現廃刊)をパラパラ見ていたら、たまたま新宿にあった日本メンズ・アカデミー(現廃校)という専門学校が小さく載っているのを見つけました。
「日本で唯一のオーダーメイド紳士服の専門学校です。パターンメイキングを身に付けるならオススメ!」と書いてありましたが、そんなことはどうでも良く、「寮有り」という言葉に釘付けになりました。しかも、学校の上に。
新宿に住めるかもー!とワクワクしていました。高3の夏でした。
(次回に続く)
写真は「あのカップル、なにイチャついとんねん」と睨みをきかしているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月22日 日曜日号
“袖なしジバンについての大切なお知らせ”
ご好評頂いております袖なしジバンですが
実はこの水玉大 濡羽色×つくも2に不具合がみつかりました。
一度洗濯しただけで穴が開いてしまったというクレームがきたのです。
アップで
これは染め加工中に付いた汚れをブリーチ剤で落としたそうなのですが、ブリーチ剤がとても強いもので、綿をボロボロにしてしまったのです。
本当にごく一部だと思いますが、万一お客様のお手元に同様のものがございましたら、大変お手数ではございますが、お求め頂いた店舗にご一報いただけると幸いです。
至急新しいものと交換させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
最後に1つお知らせが。
23日(月)12時30分?13時再放送のNHK BSプレミアム「恋する雑貨」という番組でSOU・SOU足袋と布袋がチラッと映ります。
もしよろしければご覧ください。
それでは、また明日。
- コメント
-
SOUSOUがだいすきです。
でも、今日の記事は違和感を感じます。
商品の不良についてのお知らせだとおもうのですが、
クレームが、きたのです。
というのは、その商品を持ち込んだ方に失礼ではないでしょうか。
少なくとも、クレームがきたと表現するのは、社内の会話ならわかりますが、客相手には、使わないのではないでしょうか。
こういったことをかくのは、心苦しいですが、
いつも、たのしみに記事をみてたのも、わかってください。わたしはSOUSOUさん、とても好きです
コメントありがとうございます。仰るとおりですね。普段言葉遣いを注意している身なのにお恥ずかしい限りです。以後注意いたします。
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平成24年07月21日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(1)”
SOU・SOUの前身「teems design + moon balance」時代を含めると、SOU・SOUは今年の6月で10年を迎えました。
SOU・SOUという名前にしてからは、来年3月で丸10年です。
そこで(という程のことではありませんが)、SOU・SOUを始めるきっかけみたいなことを何回かに分けて、この駄話の中でご紹介させて頂こうと思います。
遡ること30年前。僕が中学三年生の時です。
この頃、僕は初めてオシャレに目覚めます。当時はアイビーが流行していて、「VAN」というブランドに憧れておりました。
お金がないからお店に行ってもほとんど買えないので、店員さんと話をして、試着させてもらって、終わり・・・というありがちなパターンの日々でした。
その後中学を卒業し、僕は私服の高校に通います。
このあたりで、アイビーブランドからDCブランドに興味が移ります。
「POPEYE」「CHECK MATE」などのファッション誌を立ち読みして、情報収集には余念がありませんでした。
DCブランドは憧れの洋服でしたので、ブティックにはキンチョーして行っていました。お金が無いので、プロパーではなかなか手に入れることはできません。
なのでバーゲンにに命をかけておりました。
当時、高島屋にあった「MEN'S MELROSE」というブティックでスウェットシャツを買った際、店員さんが僕にロゴ入りのショッピングバッグを1枚余分にくれたのですが、その時の態度が横柄な感じだったので、嬉しい反面ちょっと屈辱的な感じがしたのを覚えています。
(次回に続く)
写真は今日の昼は何カレーを食べようかとニヤニヤ考えているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年07月20日 金曜日号
“シェアハウス”
京都の七条と八条の間に新しくシェアハウスが出来たとのことで、ちょっと見に行ってきました。
昔の大きな家
中はモダンなリビング
部屋
キッチンはレセプションの準備でいそがしそう
こちらはオーナーの吉永さん。お寺の住職です。
右はオーナー夫人。お茶の先生をされているそうです。
左は料理担当の小松さん。
シェアハウスというのは、昔でいう下宿の進化したバージョンのような感じですね。
僕は少し抵抗がありますが、なんとなく新しいライフスタイルの形でもあるなーと感じました。
外国では昔から当たり前のようにありましたけどね。
「SOU・SOUでシェアハウスを作ったら?」と辻村さんは言ってたけど、もし本当に作ったらかわいい部屋になるでしょうね。多分。
女性限定やな。
それでは、また明日。
- コメント
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SOU・SOU仕様のシェアハウスあったら入居したいです!
最近シェアハウスという言葉をよく目にするような…。新しい暮らしの形が常に増えているような気がします。
シェアハウスももちろん希望ですが、しつらいの商品ももっと幅広く展開されたらなぁと思います。
コメントありがとう御座います。しつらい商品の展開ももっと考えます・・・。
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平成24年07月19日 木曜日号
“上方浮世絵館”
地下鉄御堂筋線の難波駅を上がったらすぐに
精力剤専門店があります。
まーここには用事はなくて、その横の道を入ると
右手に法善寺が
その向かいに
目的地の上方浮世絵館があります。
江戸後期の上方の浮世絵が展示してあります。
江戸の浮世絵と違って上方のは、太った人は太ったまま、短足の人は短足のまま描くというのが特徴だそうです。
上方の浮世絵があること自体知りませんでした。
ちなみに、歩いて数分のところに道頓堀があるのですが、昔「道頓さん」が作った堀なのだそうです。へー。
こちらは館長の高野さんと娘さん。
浮世絵の知識が豊富で、話していると楽しい。
11年前に上方の浮世絵の良さを広めたいという強いから、周囲の反対を押し切ってこのミュージアムを建てられたのだそう。
これからもますますのご発展を願っております。
それでは、また明日。
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平成24年07月18日 水曜日号
“味平(119)<田丸彌>”
祇園祭りで賑わっていた先週の日曜日は、日吉屋さんへ工場見学に行きました。
その後、すぐ近くの田丸彌さんという店でちょっと軽食。
はしゃぐメンバー
オーダーしたのは
しじみピラフ、予想外においしかった。
前の女衆はにゅうめんでツルットしていた。
汁もすべて飲み干す山本。基本だ。
負けずに飲み干すアラタケ。
僕は食後にホットコーヒーを
前の女衆は宇治抹茶金時氷
「お腹いっぱいでも食べられますー」
「でも頭がキーンとするー」
「私は鼻がイタイー」
なんでやねん!
日吉屋さんとのコラボ日傘は近々発売予定です。
昨年から企画していたのですが、やっとこさです。
とても良いものになりました。どうぞお楽しみに。
それでは、また明日。
- コメント
-
若林社長こんにちは!
いつも東京店、選sen 青山の方々にはお世話になっております。
氷と聞いて反応してしまいコメントさせて頂きます!
僕は普通の氷を食べると背中にきます(笑)
なのでキーンとこない天然氷にハマっております☆
まぁご存知かもしれませんが宜しかったら山本サン、荒武サンにもお伝え下さい(笑)
きっと痛くならないはずですので。。f^_^;)
わかりました伝えます。腹こわすまで食べそうですが(笑)。
待っておりました、いよいよですね。
有松絞り祭のとき、まり木綿で偶然お会いし
「SOU・SOUで日傘があるといいなぁ?」の言葉に「出来ると思いますよ。」のお言葉通り、待ったかいがありました。
どれにしようかまたまたSOU・SOU病が・・・
でも、楽しみ、楽しみです。
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平成24年07月17日 火曜日号
“味平(118)<点邑>”
今回の味平は点邑さんの月替わり弁当です。
こちらは6月の弁当。鮎ごはんです。
そしてこちらは今月の弁当。鱧ごはんです。
昔は弁当もレンジであたためて食べたいと思っていましたが、最近歳を重ねて
きたからか、そのままの方が好きになってきました。
おまけの標語
宝蔵寺
うまい事言わはります。
それでは、また明日。
またまた、名芸の美味しそうなお弁当が! ゴクッ・・・アップされた日、私は所用で名古屋市役所に行き、お昼に,たまたま庁内の食堂で日替わり弁当を食べました。 帰宅してこのページ見てびっくり。“弁当つながりや?” ワンコインで食べられるので、またの機会にどうぞ。量的にはちょっと少なめかな?あ,傾衣では目立ち過ぎかな?いやいや、いい宣伝かな?
おいしいのならば是非とも伺いたいところです。世界中どこでも傾いていきますよ!