平成24年10月28日 日曜日号
“にっぽんと遊ぼう”
今年も行って参りました。今年は西本願寺。
会場は有名人やアッパーな感じの大人の人がいっぱい
タカミの社員さんはカワイイ人ばかり
今回は、ゴダイゴのミッキー吉野、スティーブ・フォックスが出演されていました。
僕はゴダイゴファンだったので、なつかしうれしかったです。
それでは、また明日。
平成24年10月27日 土曜日号
“京都産業まつり”
本日27日(土)と明日28日(日)みやこめっせにて京都産業まつりが開催されます。
「第1回創造的文化産業モデル企業」として選ばれた企業ブースにSOU・SOUも出展しています。
(商品の展示のみで販売はございません)
お隣は一澤信三郎帆布さんでした。
いつもお世話になっている大東寝具さんも
山本の古巣、千總さんも
SOU・SOUの店舗で使用しているお香の松栄堂さん
今年コラボさせて頂いた日吉屋さん
辻村さんが店舗設計をされているマールブランシュさん
大人気「茶の菓」ですね
皆さん京都を代表する会社さんばかりで恐縮です。
京都企業の未来に向けた取組が紹介されたり、子供向けの体験コーナーや物販があったりと、いろいろ見所の多いイベントのようです。
よろしければ是非お運びくださいませ。(入場無料)
それでは、また明日。
平成24年10月26日 金曜日号
“SOU・SOUへの道(27)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
SOU・SOUを始めてからは、いろいろな日本のコト、モノに興味を持ち始めた。
昔の人の美意識ってすごいなーと感心することがとても多かった。
ある日何かのときにサンプルとして買っておいたいわゆる黒い地下足袋を倉庫で見つけてまじまじと眺めていた。
「これって本当はとてもいいモノなんじゃないか」と漠然と思った。理由は、機能性、世界に類を見ない独特のデザイン性、そして伝統性が兼ね備わっていることだった。
また、日本人は地下足袋をファッションアイテムとして認めていないのに、外国人はオシャレな人ほど地下足袋を見て”クール”と言うところも面白い。
「これはイケるな。」直感的にそう思った。我々日本人は地下足袋に対して偏見を持っているだけだと思ったのだ。
さっそく地下足袋メーカーを探した。力王、丸五、月星(現ムーンスター)・・・。大手と言われる会社の名前が出てくる。
しかし、問い合わせてみるとどこも中国製だった。国産にする意味などどこにもないという感じだ。
とりあえず、岡山の丸五さんにお邪魔して話を聞くことにした。
藤木さんと大谷さんがいろいろと話を聞かせてくださった。昭和40年代、力王さんを皮切りに皆中国へ生産拠点を移していったそう。話を聞いてるとそれが良いとか悪いとかではなく、時代の流れだったのだと思った。
仕方がないので、丸五さんにお願いしてとりあえず中国製でオリジナル地下足袋の生産をスタートすることにした。SOU・SOU足袋の始まりだ。
地下足袋の柄はSO-SU-UとHA-KOの2柄各白黒。デザインは、先の割れたものと先が丸いものの2型作った。
なかなか良い仕上がりだった。
これらの1stモデルはそれほど売れたわけではないが、柄数を増やしてカラフルにすれば絶対にもっと売れるはずだと確信した。
SOU・SOU×丸五足袋を発売しながらも、実は国産工場をずーっと探し続けていた。
この先きっと海外へも売っていくことになる。その時「日本の伝統的な履物です」といいながら中国製では、外国の人に「なんで?」と言われるに決まっている。
国内では誰もそんな事言っていなかったが、それは皆が地下足袋に興味がないからだと思った。
例えばヴィンテージ市場では(アメリカ人は誰もそんな事は言わないが)リーバイスやナイキはアメリカ製がいいと言う日本人はいっぱいいるし、ロレックスはスイスメイドがいいと言うだろう。
当時、プラダが中国生産をスタートするという事がニュースにもなっていた。まーそれくらい日本人はブランドやプロダクトの生産国に対して、実はこだわっているのだ。
僕は別に何が中国製でもかまわない。
ただ、日本の伝統的なもの、例えば着物、扇子、足袋みたいなものは国産、それも伝統的な産地で作る方が良いものが出来て本物だと思っている。
でも、へったくそなくせに「日本製」と打ち出すくらいなら、上手な中国製の方がマシだとも思う。
まーそんな訳でいろいろあたっているうちに国産地下足袋工場、まるそう産業、高砂産業に出会うことになる。
(つづく)
写真は(秘)インドカレーノートを見ているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年10月25日 木曜日号
“取材”
京都商工会議所が策定する「クリエイティブ産業モデル企業選定事業30社」に選ばれたおかげで、京都新聞に載せていただけるとのこと。
その取材をして頂きました。
そして、とうとう京都商工会議所の会員になることにしました。
まーこんだけ今までお世話になって実は非会員だったとは誠に失礼な話ですけど、基本的に僕はどこの協会・団体にも属したくないのです。
それでは、また明日。
平成24年10月24日 水曜日号
平成24年10月23日 火曜日号
“オークション”
先日行われた第2回東日本大震災復興支援チャリティアートカバンオークション。
SOU・SOUのものも無事落札されたそうです。(写真はヤテラ撮影)
前の女性が手を挙げてくださっている
すごくピシッと挙げておられます。
しかし、最後はこちらの方が落札してくださったそうです。
なんと7万円。すご。
オオトリはキーヤンだったそうです。
落札してくださった方には末永くお使いいただきたいですね。
信三郎帆布謹製のカバンなので、一生使えるはずです。
関係者の皆様、この度はこの様な会を与えてくださいまして本当にありがとうございます。
それでは、また明日。
平成24年10月22日 月曜日号
“宣伝”
身内のことで大変恐縮ですが、僕には美容師の姉がおります。
スタジオV、オペラ、改名後アクアというサロンを経て独立し、長年恵比寿でmeuxというサロンをやっていましたが、最近代官山に移転し、店名も新たにTAOとしてオープンしました。
外観
店内
オリジナルのシャンプーの開発をしていて、近々ネットでも販売するみたい
ヘアサロンとカフェが合体しているお店でした。
閉店時間を過ぎていたのでコーヒーだけ出してもらいました。
これはこれでおいしかったのですが、もっと美味いコーヒーをということでちゅぢゅきさんのコーヒーを出すことになりました。
東京の皆さん、カット・パーマはせずとも、食事はせずとも、コーヒーだけでも一度お試しくださいませ。京都から豆を直送してもらっていますので。
身内の宣伝でスミマセンでした。
それでは、また明日。
平成24年10月21日 日曜日号
平成24年10月20日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(26)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
東京店オープンは、10年前の2003年3月8日。
前日はオープニングレセプションで大勢の方が来てくださったが、オープン初日は意外とあっさりしたものだった。
僕もオープン後1ヶ月は毎日ヴィーナスフォートに出勤した。当時いたスタッフのお父さんの紹介で、恵比寿にある某組合の社員寮にお世話になった。
売り上げは毎日イマイチというかサッパリだった。ちょっとお店をクールに作りすぎたのか、入りづらいというお客様の声もあった。
知らない場所での出店というのは、オープンしてからが勝負だ。
営業しながらその場所や客層に合ったMDにしていくとか、時間をかけて自分たちの世界観を好きになって頂ける顧客を作っていくとかして、少しずつ発展させていかなければいけない。これは思ってた以上に大変そうだなと感じていた。
東京での一人暮らしを始めた岡部も相当大変だったに違いない。初めての東京一人暮らしと、知らないスタッフとの慣れない仕事場、取れない売り上げ・・・。
売れていて疲れるのは心地よいが、売れなければ疲れるだけでなく精神的にもキツくなる。
予算が取れないまま1ヶ月が過ぎ、僕は京都へ戻らなければいけなくなった。東京での最終日、恵比寿の居酒屋で岡部に
「明日からしっかり頼むで」
と伝えたときの彼女の表情はとても疲れていて覇気がなく、これからやっていけるのかなとちょっと絶望的な感じがしている様に僕には見えた。(本人はどう思っていたかは知りませんが)
その後もずーっと売り上げは悪く、赤字経営が続いた。
その頃会社のメイン事業はまだ洋服のセレクトショップの方で、売り上げは調子良かった。そちらの利益をSOU・SOUのマイナスに充てていた。
しかしながら商業施設というのは普通のテナントとは違って、家賃さえ払っていればいいというわけではない。ある程度ヴィーナスフォート側が納得する売り上げを取らないと出て行かなければいけない。それは、デパートを含むどんな商業施設でも同じこと。
SOU・SOUがオープンしてから約半年後、ヴィーナスフォートの運営室から「そろそろSOU・SOUにテコ入れした方がよさそうだな」という声も出ていたそう。
「テコ入れもへちまもない。こっちだって真剣にやっているんだ」と思いながらも、やはり売り上げは芳しくなかった。
そんな中、SOU・SOUの救世主「地下足袋」が登場することになる。
(つづく)
写真は傾衣スタイルのちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年10月19日 金曜日号
“SOU・SOUへの道(25)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
少し話が前後しますが、東京出店を決めた時にちゃんとしたお店の名前を改めて決めなければいけないと思った。
当時の京都の店名は「teems design + moonbalance」。
「お電話ありがとうございます。teems design + moonbalance東京店でございます」では長すぎて噛んでしまう。
そして、誰も憶えてくれない。
また、この頃「なんで日本のファッションブランドやショップ名はみんな英語なのかなー」という疑問もわいていた。
「よし。日本のモノづくりをするのだから、日本語にしよう」と思った。
いろいろ考えた結果、クリエイティブの「創」、かんたんという意味の「草」、よそおいの「装」、住まいの「荘」etc...というところから「SOU・SOU」にした。アルファベットにしたのは外国の人にも読めるように。
実はコンセプトにある「相槌=そうそう」というのは後付けだ。バラしてしまった。
脇阪さんの奥さんが「相手を肯定する日本人らしさがあるわね。」と言われたので、なるほどーと思ってそちらをコンセプトに採用した。
というわけで、東京ヴィーナスフォート店がオープンすることになったので「SOU・SOU」という名前が生まれた。
そして、東京店がオープンしてから約半年後に京都店も「SOU・SOU」に変えた。
圧倒的にこちらの方が気に入ってしまったのだ。
ちなみに東京店オープン時のDMに「SOU・SOU TOKYO GRUND OPEN」と書いてしまった。
正しくは「GRAND OPEN」だ。
当時プレスを担当していた女性スタッフは、とても恥ずかしそうにしていた。作り直した方がいいと提案してきたが、僕はそうしなかった。
外国に行ったらお店の貼り紙、メニュー、カタログ等、変な日本語なんて山盛りある。しかし、彼らはそんな事全く気にしていない。日本人は英語のスペル間違いに敏感過ぎる。
「たかが英語を間違えたくらいで気にするのはやめよう。日本語を間違えたのなら問題やけど」と言って、気にせずそのDMを使った。
(つづく)
写真はわらべぎを着たちゅぢゅきさん
それでは、また明日。
平成24年10月18日 木曜日号
“名芸大”
いい天気。名古屋です。
名古屋芸術大学
いつも頂くお弁当
おいしいです。本当に好き。
張正さんで染めた手ぬぐいを合評
彼女は作品が気に入らない様子
この日決めたものを商品として染めて、来年の絞り祭りで販売します。
その後、夏休み前に出していた課題作品を提出してもらった。
テーマは「浴衣に合う帽子」だ。
こちらもサンプルが上がってくるのが楽しみです。
皆さん、がんばって!
最後は、モスリンかり衣を着た扇先生
いつもお世話になっています。
それでは、また明日。
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平成24年10月17日 水曜日号
“京都造形芸術大学”
この日は貫頭衣のブランド名決め
全員でアイデアを出して
全員で人気投票
好きなロゴに付箋を貼る
これが一番人気だった
読めないね。
カニココというそうです。京都ことばだそうです。
作者は彼
あきらめないでよかったな。
次は貫頭衣の合評です。どんなんが出来るか楽しみです。
皆、ちゃんとやりなさいよ。
それでは、また明日。
平成24年10月16日 火曜日号
“SOU・SOUへの道(24)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
ヴィーナスフォートの出店を決めてからはいろいろバタついた。
京都から責任者を一人派遣しなければいけないし、東京でも求人しなければいけない。
京都からのスタッフは、責任者の男性を1人決めた。
そのスタッフは京都のマンションを解約し送別会まで終わらせたが、東京に行く直前で取りやめになった。
僕が人事を変更したのだった。何か虫の知らせのようなものがあったからだ。
その代わりに任命されたのが現東京マネージャーの岡部だった。
京都から出たことがなかった箱入り娘の彼女だったが、当時習っていたお茶、お花も辞めてもらって東京行きを了承してもらった。
突然の転勤に親御さんもさぞがし心配だったと思う。
しかし、この人事でなければ確実に今はなかったと思っている。
その次は東京現地スタッフだ。
知人を少しあたってスタッフを探したが、誰もめぼしい人がいない。
そんな中、東京にいる姉の紹介で何人か恵比寿の純喫茶ルノアールで面接をした。
SOU・SOUという実態がないということは
「何でSOU・SOUを選んだのですか?」とか「SOU・SOUは好きですか?」とかが聞けない。
逆に「僕たちはSOU・SOUというお店をやろうと思っています」
「コンセプトは日本の伝統の軸線上にあるモダンデザインでして・・・」とプレゼンしてる感覚だった。
しかしいくら説明しても相手の反応はすこぶる悪く、結局誰も来てくれなかった。
そんなこんなで前途多難ではあったが、結果的にはなんとか数人集まってオープニングメンバーは揃ったのだった。
(つづく)
写真はちゅぢゅきさんの幼少時代。
それでは、また明日。
平成24年10月15日 月曜日号
“10月15日生まれの有名人”
10月15日生まれの有名人と言えば、
タレントの清水国明さん。
「あのね のね」のギャグで一世風靡をされましたね。
演出家の蜷川幸雄さん。
脇阪さんに若干似てますね。
俳優の中谷一郎さん。
水戸黄門の"風車の弥七”と言えばこの人。
京都カレー会の重鎮ちゅぢゅきさん。
貫禄たっぷり。
ちなみに、こちらは若かりしちゅぢゅきさん。
相当ブイブイ言わせてたそうです。
皆様、お誕生日おめでとうございます。
それでは、また明日。
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『あのねのね』に喰いつきました(笑
お邪魔致します。
とても懐かしいです。
小5の頃からオールナイトニッポン
毎週聴いていまいした。
『七不思議の歌』や神田川の替え歌など
当時はどんな◯ロ本よりも
男心?をそそられてました(笑
レコードも沢山持っていたと思います。
(度重なる引越しで無くなってしまいましたが)
そう言えば彼らって京都産業大学でしたよね。
思い出させて頂きありがとうございます。
また、近いうちにお邪魔させて頂きます。
意外と15日はめぼしい有名人がいなかったんです。またお出かけ下さいませ。一同お待ちいたしております。
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平成24年10月14日 日曜日号
“SOU・SOUへの道(23)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
teems design + moonbalanceのショップは、なかなか入りづらいお店だった。
1Fがコムデギャルソンで、ビルのファサードは真っ黒。その横の細い階段を上ってまず2Fへ行き、そこからエレベーターで3Fに行く。そしてエレベーターのドアが開いたら、そこがショップだった。
ショップに来る人は、すごく緊張していたと思う。デパート以外で、エレベーターが開いたらすぐお店というのは僕でも緊張する。どんな店かわからないから。
一応ビルの外には小さなサインがあるが、それを見逃す人も多かった。「こんな分かりづらくて営業する気あんの?」というマダムもいた。
あまりにもそういう類の声が多いので、ビルの外にフラッグでも付けたいと言ったら、ギャルソン側からNGが出たので諦めた。
そうこうしてたらある時、ヴィーナスフォートにあるカフェ「オゼン・マリアージュ」の社長が、4Fの辻村さんの事務所帰りにショップに立ち寄られた。
店内をいろいろ見て大変気に入って下さったようで、東京に戻ってすぐにヴィーナスフォートのエライさんに紹介しておられた。
その後すぐにヴィーナスフォートのエライさんが来られて、やはりお店を気に入って頂いたようで、後日出店のオファーを頂いた。
しかし、僕はその時は出展を断った。東京に約8年住んでいたが、お台場なんて行ったことがなかった。
そしてヴィーナスフォートは、すごく作りこまれた(中世ヨーロッパの町並みをイメージ)商業施設だったので、初めて伺った時ちょっと引いてしまった。
また、東京に店を出したらいそがしくなり過ぎてしまうのではないかと、今では絶対考えないようなことも当時は思っていた。
10年前は子供だったのだ。
しかしながら、その半年後にはヴィーナスフォートに出店する決心をすることになる。
写真は、「写真だけでも足長にしてあげよう」とヤテが加工したオッカー。
それでは、また明日。
平成24年10月13日 土曜日号
“今週の写樂<社内編(38)>”
今週の写樂<社内編>は新人、福田麻由子。
以下はデータ。
生年月日 :1985年7月17日27歳
血液型 : O型
趣味 : 雰囲気のいいもの探し、お酒
好きな食べ物 : きゅうり
好きな男性のタイプ : 中性的な人
身長 : 154cm
特技 : 歌を歌うこと、三味線
休日にしていること : 近所を散策(たまに遠征)
欲しいもの :ベッド
彼女は1年前に面接をして内定が決まったのですが、先月やっと入社しました。
前職が長引いたそうです。
それにしても長かった。顔をわすれかけていた。
彼女はなんとなく荒木の匂いがする。体臭ではない。
おにぎり屋をやったら、ぴったりハマりそうなところも荒木と似ている。
これからが期待の新人です。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、また明日。
平成24年10月12日 金曜日号
平成24年10月11日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(22)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
teems design shopというのは、インテリア雑貨を中心に取り扱っていた。
オリジナルテキスタイルのタオル、クッションの他、レコードバッグ、CDバッグ、デザイン家電、イームズの雑貨等。
その後、辻村さんが5F建てのビルを買われることになって、そのビルで何かしようという話になった。
1Fに和食屋、2Fにteems design shop、3Fにインテリアショップ、4Fが辻村久信デザイン事務所、5Fがカフェ。なんとなくこんなプランだった気がする。
1Fのショップで使う家具やスタッフのユニフォームは上の階で売っているという設定で、ビル全体が一つの新しい和の世界観を持つというものだった。
実はこのプランは東京の青山でやるつもりだった。青山に出来る予定のユニマットの新築ビルを借りて、衣食住を提案するショップを僕と辻村さんと祇園リコルディのオーナーの真城さんの3人で共同経営する計画だった。
普通テナントは家賃が決まっているものだが、ユニマットの場合は事業プランをプレゼンして、家賃もこちらで提示するというスタンスだった。
それを総合的に見て、ユニマット側が誰に貸すかを決める。僕らのプランは先方の社長に大変気に入ってもらえたのですが、提示した家賃(500万円)が安かったため最終選考で落とされ、この計画はなくなった。
しかし、今から考えてみたら無謀な計画だった気がする。当時のteems designはまともに衣類の生産をしたことがなかった。大体にして生産のプロもいなかった。
もしあの計画が通っていたら、今頃どうなっていたかなーと思う。これもツイていたのだ。
まーそういうわけで、青山での計画を辻村さんのビルにスライドしていくことになったのだが、紆余曲折あって結局このプランは大幅変更になり、1F・2Fはコムデギャルソンが入ることになった。
ウチは3Fになり、辻村さんの事務所が4F、5Fには当時渋谷で大人気の和カフェ「ユソーシ」が入ることになった。
この展開には僕自身驚いた。
この時のショップ名はteems design+moonbalanceとなった。moonbalanceとは辻村さんの会社名だ。僕の社名と辻村さんの社名を足しただけだ。
服あり雑貨あり辻村さんの家具ありのユニークな品揃えだった。商品の統一感はあまりなかったがオリジナリティーはあった。
自分たちで作って自分たちで売るというスタンスは地方の一ショップではなかなか出来るものではない。
2006年6月21日。このお店がのちのSOU・SOUになっていく。
おっと、このまま終わるわけにはいかない。
最後はなぜかカメラのフタをパカッと開けてキメ顔をするちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
- コメント
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一日一駄話、SOU・SOUへの道、毎回楽しみにしています。3階のこのショップ懐かしい? 2006年だったのですね。。当時、なんてオシャレな空間なんだとお邪魔する度に思っていました。このとき購入したレコードバッグや足袋などはそれぞれ使用感が出ていますが、今も大切に持っています。
井川さんの場合はもっともっと前からご存知ですよね。生き字引みたいなもんですね。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
いえ。恐縮です。
こちらこそ、今後はわらべぎでもお世話になるかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
一家で楽しんでくださいませ!
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平成24年10月10日 水曜日号
“藝術復興”
こんなことをさせて頂きました。
チャリティーオークションです。
皆さん大御所ぞろいですね。
いくらくらいで落札されるのかな。
10/11(木)?10/20(土)まで、高島屋京都店の四条通側ウインドーにて作品が展示されます。
オークションは10/21(日)に1F ゆとりうむ特設会場で行われます。
詳しくはこちらをご覧ください。
さて話は変わって、こちらはフラッとお立ち寄りくださった新道さん。
その世界では超有名なシンディゴ絞りの考案者。
本当にきれいな作品を作られます。
伊勢木綿を一度染めてみたいとのことで、3年くらい前に反物を渡したのですが、まだあがってきません。
あと2年くらい待つことにしよう。
それでは、また明日。
平成24年10月09日 火曜日号
“京都デザインウィーク”
10/5(金)から始まっている『京都デザインウィークin名古屋セントラルパークアネックス』。
おかげさまで大好評です。
写真は準備をしているところ。
名古屋催事に異常に行きたがる定村
新人、福田初登場
短足が自慢のオッカー
今や名古屋ではSKE48の次に人気者のラーメン、ツケメン、まりもメーン
京都デザインウィークなのに、名古屋のまりもメーンは少し違和感があるかもしれませんが、SOU・SOUの妹分みたいなものなのでよしとしましょう。
ゆくゆくはまりもメーンを中心とした『名古屋デザインウィーク』でもつくりますか。
最後にお知らせを。
ご好評を頂いておりますテキスタイルカバーの予約が明日までとなりました。
この機会に是非ご検討ください。
それでは、また明日。
いつ見てもおいしそうなお弁当ですね。今度まり木綿のお二人さんにくっ付いて名芸行こうかしらん(笑)
栄オアシス21の、職人展で見かけた学生さんも何人か写ってますね。自分用に絞りの帽子を買い求め、各ブースを回って、娘用にとまた名芸のブースに戻ったら「お帰りなさい!」ですって(苦笑)。アートには、ユーモアも必要ですね。彼女たちの今後の活躍を期待しています。
学生の展示会もお運び下さってるのですね。誠に有難うございます。今後共何卒宜しくお願いいたします。