平成25年01月20日 日曜日号
“節分に”
2月3日は節分ですね。
節分については、こちらをどうぞ。
豆まきは小さい時から今もずーっとやっています。
最近は外にまくのに少し抵抗がありますが・・・
1/18(金)?28(月)までの間、SOU・SOUでは5000円以上お買い上げのお客様に「福豆が入った豆袋下げ飾り」をプレゼント
豆をまいた後は、お守り入れ等にいかがでしょうか。
そして、平成23年に発売した手ぬぐい「節分」に、縁起の良い宝船をプリントした 手ぬぐい/節分 宝船が新発売。
宝船の絵を枕の下に入れて寝ると、良い夢が見られるそうです。
プリントが増えてもお値段据え置き!縁起が良い!
贈り物としていかがでしょうか。
それでは、また明日。
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平成25年01月19日 土曜日号
“四条のGメン”
もうこの時期になると、正月はとっくの昔に思えてしまいます。
写真は、アップしていなかったSOU・SOUスタッフ初詣の時のもの。
最後はお約束、四条のGメン─BAMBI編─
これがやりたかっただけ。
それでは、また明日。
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平成25年01月18日 金曜日号
“撮影”
昨日は自宅で撮影。ひっさしぶりです。
内容は、もうすぐお知らせします。
自宅で撮影ということで、カミサンは2?3日前からせっせと片づけをしていました。
いらないものもこの際とばかり、思い切って捨てていました。
家の中っていらないものだらけです。
いろいろ捨てて、ちょっと生活感がない雰囲気になりましたが、まーこれでいいんです。
カミサンには、もういらんものは買わないようにしてもらいたいです。
写真は、現役を引退されたおじいさんが廃材を使って作られたイスに、脇阪さんが花を描いたもの。
激カワ。
それでは、また明日。
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平成25年01月17日 木曜日号
“お客様”
今週もいろいろ打ち合わせがありました。
ロウソクでおなじみ、カメヤマロウソクさん。
衝撃の品揃えでした。
柔軟な発想にビックリです。
21世紀美術館ミュージアムショップの皆さん。
足袋下、ゆびまき絵、たしなみを取り扱って頂いています。
CMソングメーカーとしてギネス認定待ち?!
京都在住、サウンドロゴ・クリエーターのハラダ。
彼のラジオ番組もチェケラ!
最後は、魂の叫び、いや、炎の絞り、田端さん。
今の彼には、もはや怖いものなんてないようだ。
それでは、また明日。
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平成25年01月16日 水曜日号
“名古屋芸大”
この日は今期ラスト授業のため名古屋へ
土曜日だったので、いつもの弁当はないのだった。
今年の絞りまつりで発売する手ぬぐい
激カワ
そして、こちらは浴衣に合う帽子というテーマで作ったもの
これは商品化を検討しようかと思った作品。1枚の手ぬぐいから出来ている。
企画の山本と要検討だ。
総評としては、浴衣に合うと思うもの、そうでないもの、様々でした。
そもそも、浴衣に合うものというテーマが割りと高いハードルだったと思う。
好きな帽子をデザインするというのはちょっと違う。
でも、世の中に無いようなものを考えるのがクリエイターの仕事。
もうすでにあるもんで作っても、あまり意味がない。
課題としては、とてもよかったのではないかと思う。
それでは、また明日。
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平成25年01月15日 火曜日号
“えべっさん”
毎年えべっさんには行っています。
僕は最終日の夜に行きますので、ご覧のとおりガラガラです。
誰もいないから、神様はゆっくり僕の話を聞いてくれるような気になります。
モノづくりに携わっている方達にとって、より良い一年になりますように、そして、SOU・SOUがそういった業界と共に発展していけますようにとお願いしました。
いつも笹を買ってた売店のおじさんに
「昨年会社の景気が良かったのなら、今年は新しく笹は買い換えなくていいんやで。いい神様を換えてしまったらあかんで。」
と教わってから、そう言えばもう何年も笹を買っていません。
笹っていろいろ付けていくと、けっこうな値段しますよね。
実はこれだけでもずいぶん助かっていると思います。
それでは、また明日。
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平成25年01月14日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(42)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
SOU・SOU着衣が出来てから約1年後、スタッフの徳治夫婦の間に子供が生まれた。今年小学2年生になるはるかだ。
産後も千夏っちゃん(お母さん)は働く気満々だったので、赤ちゃんを抱っこしながら伊勢木綿のお店に立ってもらうことにした。
赤ちゃんを抱っこしながら働くというのは昔はよくある光景だったと思うが、最近ではほとんど見かけない。
ウチも実家がうどん屋だったので、母親は僕をおんぶして毎日朝から晩まで働いていたという。
伊勢木綿の店内レジ前に小さなスペースがあったので、ベビーベッドを置いた。ジャストサイズだった。徳治も絶妙なサイズのベッドを見つけてきたもんだ。
店内にベッドがあって、そこで赤ちゃんが寝ているというのはちょっとビックリするかもしれないが、まーいいかと思ってそうした。
お客さんも概ね理解してくださっていたように思う。(中には不快なかたも居られたと思いますが)
そんなある日、僕が経営していた最後の洋服屋を閉めることになった。スタッフのために最後まで残していたのだが、とうとう終了する日がやってきた。
そこで、その店舗をどうしようか考えていたら、千夏っちゃんが
「こども服をやったらどうですか。絶対いいと思います!」
徳治と一緒に三人で焼肉を食べていた時に猛烈にアピールしてきた。
「SOU・SOU好み」という店名でオリジナル以外のセレクトアイテムを扱う店か、「SOU・SOU絞り」という国産の絞りだけを扱う店を考えていたのだが、結局千夏っちゃんの熱意に負けて子供服にした。
店名は、こどもらしい気持ち=童気(わらべぎ)ということから、SOU・SOUわらべぎにした。
千夏っちゃんは子育て、家事、オッサンの面倒を見ながら、わらべぎの企画もやってくれた。あの時期は、情熱大陸が彼女を取材するべきだと思った。
(つづく)
画像は、新年の挨拶にお越し下さった川本さん。
毎年びしっと着物です。
アップで
さらにアップ
無理でした。
それでは、また明日。
- コメント
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ベビーベッド、懐かしいです。
SOU・SOU仕様のお布団のなかで足を投げ出し爆睡していたあの赤ちゃんが…と思うと陰ながら感慨深く思います(笑)
本当に懐かしいですね…。
懐かしいお話ですね。
遙ちゃんも毎日の通勤(?)、よく頑張ったと思います。
これも、社長様はじめ会社の皆様のご理解とご協力があったからだと感謝しております。
ほんとに有難うございました。
全ては徳治が持ってる運ではないかと思います…。
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平成25年01月13日 日曜日号
“PRADA”
サンフランシスコからメールで届きました。
プラダの新作だそうです。
思いっきり厚底のサンダルに足袋みたいなのを履いているのですね。
高級ブランドというよりは、原宿ブランドみたいな感じがします。
○ャリーパミュパミュが似合いそう。
一方この女性履いているのは阿波踊り用の足袋みたいにソールが薄そう。
丸五さん、プラダに営業に行けばいいのに。
それでは、また明日。
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平成25年01月12日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(41)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
ある日の朝、店の前をほうきで掃いていると、足袋屋隣にあったミッキーマウス屋のご主人がやって来て声をかけられた。
「店長ー(僕のことをそう呼んでいた)、あのさー、もう店を閉めるんやけど、借りてくれへんか?」
「えーそうなんですか?長いことご商売されているのに、一体どうしたんですか?」
「もう、しんどーなってきてね。そんで、誰かに貸そうと家族に相談したら娘がSOU・SOUさんに頼んでみたらって言うんや」
という訳で、その店舗を借りることにした。
ちょうどSOU・SOU作務衣を作って3年くらいした時だったと思うが、この店舗に男性用と女性ものが混在していることに不自然さを感じはじめていた。
ヨシザキみたいな大男が女性に試着を勧める図も何かおかしいし、なにより女性が店に入りづらいだろうなと思っていたのだ。
ということで、新しい店舗は女性モノを扱うお店にすることにした。
店名は「SOU・SOU着物」にしたいところだったが、着物はやは凝り固まったりイメージが強いので、着衣(きころも)という名前にした。
少し離れたところにあったSOU・SOUしつらいは、着衣の2Fに移した。
しつらいは坪数が約5分の1くらいになったので、大型家具は一旦取り扱いをやめた。
そして50坪あったSOU・SOUしつらいは、倉庫兼SOU・SOU netshopデリバリーセンターにした。
それまで店舗スタッフがnetshop業務をやっていたが、もう追いつかなくなっていて、そろそろ独立させなければと思っていたところだった。
そしてこの頃誉田屋源兵衛さんに「キミももっと傾いたらいいねん」と言われたことで「傾く(かぶく)」という言葉を知り、なるほど派手な身なりってカッコいいなと思うようになったので、この際SOU・SOU作務衣の店名を傾くための衣”傾衣”に変えた。傾衣にしてからは服作りに遠慮が無くなっていった。普通の服を好む人にはちょっと手強いお店になった。
隣のご主人がお店を辞めることで、結果的にSOU・SOUが次々と変わっていくのだった。
(つづく)
画像は、紅白の時の3代目J-SOUL BROTHERS
これって絞り?田端さんはこんな絞り出来るのでしょうか。
それでは、また明日。
- コメント
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若林様
いつもお世話になっております。
画像を見る限りではアジアン雑貨などで見かけます「エスニック染め」「タイダイ染め」に近い絞りではないかと思います。
大きくは同じ「絞り」になりますが日本の絞りとは技法や材料が全く異なった絞り染でして、偶然を利用した再現性の無いアート作品は自由な表現が味になっておりますが必要以上に製作費と時間がかかる為商売には不向きで日本ではあまり作られていないのではないかと思います。
3代目J-SOUL BROTHERSが着ておられる服ですが、スーツに絞りとゆう点と、紅白に出られる著名人とゆう点から、作家やアーティストのような方が相当の製作費と時間を費やしたモノで、数十万円?の服になります。
絞りを失敗すると時々こういった現象の絞りに遭遇する事がございます。日々学びご期待にお応え出来る絞り作品が出来るよう取り組んでいきたいと思います。
たばた
まーつまりは田端さんなら楽勝ということですね。わかりました。
朝飯前です。
たばた
若林様 おはようございました。たばたさまとのやりとりが大変楽しく頼もしく 大ファンといたしましてはこちらのコメント欄 存分に楽しみました。昨年暮れの たばた絞り きさらぎを分けていただきましたが 最高です。コクのある緋色 激カワなボーシ絞り。天然素材の風合いを最大に生かしてくださっていて 涙がでます。決して大げさな表現ではありません。たばたさまのHPでは絞りに対しての真摯な取り組みと戦隊もの大好きなお茶目な部分にいつも元気をいただいております。次は超お品薄のくびまき 期待大にして待ちわびております。そして若林様の たばた絞りスタイルを こちらで拝見したいものです。
田端さんはもし絞りで食べていけなくても喋りで食べていける腕を持っておられます。なので安心です。僕の田端絞りスタイルはそのうちに・・・。
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平成25年01月11日 金曜日号
“ワッキー&辻ヤン&ギャラリーしつらい”
脇阪さんに頼んでいた釦が上がってきました。
木の釦に手描きしていますが、これを量産できないか業者をあたろうと思います。
これだけでも、人気が出そう。
次は辻村さん(ハッサンは辻ヤンと呼ぶ)に今日もらった三角スケール(通称サンスケ)
これがあれば図面の寸法がバッチリわかる。
今までこれを使っていなかったので、スケール感がアバウトでしかわかりませんでした。
しかし、もう大丈夫。
最後はしつらいの間の展示。1月はこんな感じです。
この中にプレゼント絵葉書がございます。
それでは、また明日。
- コメント
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おはようございます。
高橋皇子さま(わたくしは王子ではなく皇子と呼んでいます。心の中で)好みの デザインの御葉書 是非に GETさせていただきとうございます!!
勿論 若林好みも 拝見しとうございますが。
若林さまに 幸せ多き年でありますように。
コメント有難う御座います。高橋皇子とはなかなか高尚な名前ですね。いっそハッシーでいいのではと思いますが・・・。
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平成25年01月10日 木曜日号
“SOU・SOUへの道(40)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
ある日一通のメールが会社のPCに届いた。
世界中の誰もが知っているフランスの超有名ブランドからだった。
そして、一度担当の方と会って話をした。
あまり詳しくは書けないが、要するにヒール付きの地下足袋が作れないかという話だった。
今から思えば二つ返事で作ればよかったが、当時の僕は若かった。そういうのは邪道だということで、あまり乗り気でない返事をしてしまったのだった。
その後は何の音沙汰も無い。
まー縁がなかったのだと思うが、ビッグチャンスを逃した感は否めない。
もし次があるのならば、業界のためにももう少し大人の対応をしたいと思う。
その後も地下足袋のコラボレーションの話はいくつか頂いた。
そのうちの1つがle coq sportifだった。
ある日、青山店にle coq sportifのMDの方がやって来られて「一緒に地下足袋を作りませんか」というお話を頂戴した。
ナイキのエアリフトという地下足袋風スニーカーは世の中にあったけど、もしコラボすることになったら、世界最古のスポーツブランド le coq sportifから正真正銘の地下足袋が発売されることになるかもしれない。
これは歴史に残るな・・・勝手に興奮してその話を受けさせて頂くことにした。
その後シューズデザイナーの麻谷さんと会って、いろいろ話すうちにどんどん盛り上がってしまい、とうとうSOU・SOU×le coq sportif×日進ゴムから地下足袋の1stモデルがリリースすることが出来た。これは嬉しかった。
そして、それからも毎シーズン地下足袋をリリースしていった。
取引が始まって2、3年した頃、僕がやっていた洋服屋の主要ブランドが倒産した。それに伴ってその店を閉めることにした。
でも、せっかく1つ店舗が空くのだから、そこを新展開のSOU・SOU le coq sportifのオンリーショップにしてみようと思った。SOU・SOUとは毛色の違うお店になるが、まーそれも良いかなと。
いきなりオンリーショップにしたせいで、肝心の商品は全然無かった。
そりゃそうだ。今までSOU・SOU作務衣の店内の一角で展開していた程度の商品数だったのに、それを一店舗にしたのだから。
まーそれも仕方ない。大体が予定通りにはいかないものだと思って諦めた。
その時のオープニングスタッフが高橋(現お点前王子)、瀬野(テノ)だった。
ちなみに、高橋は似合ってるのかどうかがわからなかった。
(つづく)
写真は正月に来られた美しい女性とおそらく893の方。
本当は尼口さんです。
それでは、また明日。
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平成25年01月09日 水曜日号
“新年会&ヘラ”
高校の同級生と百万遍の安居酒屋で新年会。久しぶりだ。
皆オッサンだ。
昔と違ってこの年になると体調管理や病気の話になってくる。
仕方ないか。
中には間接的にSOU・SOUの仕事をしてくれているヤツもいた。
次の日はカミさん家族が京都に来ていたので、鉄板焼きへ。
料理人の方はヘラ捌きがとても上手かった。(当たり前ですが)
お話しを伺うと、家でヘラを使って雑誌をパラパラめっくたりして訓練されたのだそう。
すごいな。ヘラでページがめくれるのか。
感心すると同時に、見ていて楽しくなりました。
それでは、また明日。
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平成25年01月08日 火曜日号
平成25年01月07日 月曜日号
“SOU・SOUへの道(39)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
SOU・SOU足袋、SOU・SOU伊勢木綿、SOU・SOUしつらいを作った時、どさくさでSOU・SOU作務衣というお店を作った。
どさくさというのは、当時やっていたストリートカジュアルのセレクトショップのリニューアルを急遽変更したからだ。
そのままリニューアルしたとしても、そのジャンルの服の将来性は暗いと思い立ち、それをスタッフに相談したところ、図面を作るギリギリのところで「この先はこの店もSOU・SOUにした方が良いのではないかと思います」と言ってきたのだった。
そのスタッフはスケーターでジーンズをケツではくタイプだったので、SOU・SOU事業部についてはほぼ興味が無かったと思うが、それでもそんな事を言ってくれたおかげでセレクトショップを閉めてSOU・SOU作務衣というお店をオープンした。
ここにはSOU・SOUの衣類全般を男性用・女性用ともに扱った。
その半ケツスタッフと当時足袋店に勤務していた石田明日香(現 着衣店長)をこの店の担当にした。
本当は「着るもの」ならばSOU・SOU着物にすればいいのだが、着物というともう完全に国内で堅苦しいイメージが出来上がっているので、作務衣という店名にした。
作務衣とは平たく言うとワークウェアになる。
ストリートカジュアルからスライドさせたスタッフもいるから、日本のワークウェアである作務衣をファッションとして提案するお店がいいんじゃないかと思ったのだ。
そんな店、他に無いし。
そして、このお店にはあるストーリー設定をしていた。
「ある老舗呉服屋5代目の息子が『僕は家業を継ぎたくない』と言って、大学卒業後アメリカに渡った。
図らずもそこで日本の良さ、家業のすばらしさに気づく。
日本に帰ってきた時にその息子は家業とはちょっと違う、作務衣とカジュアルウェアをミックスさせたスタイルのショップをオープンさせることにした.....」
SOU・SOU作務衣は、こんなイメージだった。
なので、オリジナル作務衣とストリートカジュアルブランドのミックスで品揃えした。
アディダスなんかも扱っていた。
一般の人が拒絶しないように配慮しながら、最終的にはSOU・SOUフルオリジナルのラインナップに出来ればな...と思っていた。
この店が後の傾衣になる。
(つづく)
写真はキーヤンからの年賀状
アップで
この顔がなんとも言えず良い
それでは、また明日。
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平成25年01月06日 日曜日号
“年賀状(2)”
少しシャレた年賀状をご紹介します。
大因州製紙協業組合
堀木さんは、さすがの作品写真。最近は全然お会いしていないけど、メガネ屋のポスターで見かけたな。
ジブリミュージアムは、らしさ全開
業務連絡:例のブツは、今作れるところを探しています。
芹沢さんの作品も
「ルソンの壺」。3回も放送して下さってありがとうございます。
篠田麻里子からも(ウソ)
ACEとのコラボ第二弾も進行中
京都室町の老舗帯問屋 誉田屋源兵衛さんからは
すごいな。若かりし頃の源兵衛さん。マムシをGET!の図。
帯のセンスも一流だが、この年賀状を作っちゃうセンスは超一流だ。
僕もこういう年賀状がためらわず作れる傾き者になりたいものだ。
せっかくなので、荒武にマウスパッドとして使ってもらった。
それでは、また明日。
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平成25年01月05日 土曜日号
“年賀状(1)”
今年もたくさんの年賀状を頂戴しました。
そして毎年恒例の「SOU・SOU」チェック。
「SOU・SOU」というのは、大文字で中黒(・)が入るのが正式です。
小文字のタイプ
これが最も多い。
小文字&中黒(・)なし
中黒(・)なしの惜しいタイプ
大文字、小文字が混じったタイプ
中黒(・)ではなく、伸ばしたタイプ
ハイフンタイプ
これは、ありそでなかったSOWSOWタイプ
中黒(・)ズレの惜しいタイプ
最後は中黒(・)なしなんてどうでもいい若林剛子!今年も登場!
この人には永遠に教えないでおこう。
最後は今頃南国で楽しんでおられる岡田縫工所の岡田ご夫妻
今年も宜しくお願い致します。
それでは、また明日。
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平成25年01月04日 金曜日号
“SOU・SOUへの道(38)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
SOU・SOUが成功するかどうかは、どれだけ良いスタッフを集められるかにかかっています。
ビンテージ古着の店ならビンテージの知識が豊富で、それにまつわる音楽などのサブカルチャーに詳しい人がスタッフになれば、お客さんも楽しいだろう。
お菓子屋さんならお菓子が好きで、知識豊富で、休日にはお菓子を作っていたりなんかして過ごし、さらにお店のお菓子に合う飲み物なんかもいろいろ提案できれば、そこに来るお客さんはきっと嬉しいだろう。
では、SOU・SOUはどうか?
着物や和装に興味があって、茶道とかにも興味があって、伝統芸能にも興味があって、それでいて新しいことにもどんどん挑戦していくクリエイティブさがあって・・・
そんな人が集まれば、お客さんはきっと楽しいし熱狂的なマニアも増えるだろう。
そして、そうなるともう怖いものは何もありません。
SOU・SOUがこの10年間で少しずつ伸びてきたのは、そういったSOU・SOU人が社内に増えてきたからだと思っています。
逆に言うと、僕はずーっとその人材確保だけにこだわってやってきました。
SOU・SOUを知らない多くの人たちにその良さや楽しさを伝えることが出来るのは、SOU・SOUを楽しんでいる人だけです。
SOU・SOUがスタッフなしの催事をやらないのは、そのためです。
また、SOU・SOUで短期バイト、派遣社員等がいないのも同様の理由です。
求人募集しても人が全然集まらなかった以前の東京店には派遣社員もいたことがありましたが、時給の高い他社の仕事にあっさり転職されました。
まーそんなもんです。
今はそういう事はほとんどないので、それだけでも昔とは大きく違います。
これからも社内外を問わずSOU・SOUを好きな人たちと楽しみながら成長できれば幸せだと思います。
別に会社はそんなに大きくならなくったっていいんです。
(つづく)
画像は、脇阪さんからもらった1枚の切り抜き
「ラーセンから送ってきたんだけど、若林君宛てだから渡しとく」とのこと。
SOU・SOUっぽく見えたのかな。
それでは、また明日。
- コメント
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SOUSOUの、作るものも大好きですが、そんな芯の通った姿勢も大好きです。
僕も、負けずに?SOUSOUのある生活を楽しんでいきたいと思っています。
1000eyさま
コメント有難う御座います。そう言って頂けるだけで十分嬉しいです。今後共宜しくお願いいたします。
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平成25年01月03日 木曜日号
“本日より”
京都店は仕事はじめです。
皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
毎年3日は社員皆で八坂神社に初詣に行きます。
そして、いつもの日常が始まります。
どこのお店もそうだと思いますが、昨年までと同じ気持ちで働いていたのでは進歩がありません。
やはり一つでも進もうという意識が大切です。
スタッフ43人が最低でも一歩進んだサービスが出来れば、お店に来られたお客様も少しは気分が良くなるはずです。
そうなれるよう努力して参りたいと思います。
写真はとある喫茶店での1コマ
それでは、また明日。
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平成25年01月02日 水曜日号
“SOU・SOU×伊勢丹風呂敷”
すでにご存知の方もおられるかもしれませんが、こんなイベントが開催されています。
伊勢丹所有の膨大な数の伊勢型紙がウィンドウおよび館内に展示されるそうです。
そして、その型紙のデザインを使っていろんなブランドが風呂敷を作るという企画にSOU・SOUも参加させて頂きました。
こういうイベントを通じて伊勢型紙のすばらしさを多くの人に伝えていきたい、そして、伊勢型紙の技術を残していければ・・・というのが今回の伊勢丹のコンセプトだそうです。
というわけで、SOU・SOUはこんなのを作りました。
<サイズ:113×113cm 各5,250円>
SOU・SOUではめずらしく、洋風なものにしてみました。
でも、実は2型とも江戸時代にあった柄です
そして、本物の伊勢型紙を作り、世界で唯一日本だけの伝統的染色技術「注染」で染め上げました。
注染は小巾の生地しか染められないので、昔の風呂敷のように3枚接ぎにしました。
配色は直感です。
つまり、配色以外は全て江戸時代からあったものでリ・デザインしています。
是非一度現物を見てみてください。(イベントの詳細は以下をご参照ください)
■伊勢丹新宿店 本館1階=ザ・ステージ
■1/2(水)?1/8(火)
※1/9(水)からは伊勢丹新宿店本館7階=呉服にてご紹介いたします。
その他、三越銀座店・伊勢丹立川店・仙台三越・千葉三越・福岡三越・新潟伊勢丹・静岡伊勢丹の計8店舗での展開となります。新宿以外は少量展開の為、お問い合わせは、伊勢丹新宿店03-3352-1111(大代表)でお願いいたします。
明朝9時35分?「ルソンの壺」の再放送です。(関西地区)
年間何十人もの方が出演されているのに、僕なんかのことをこんないい日時に取り上げて頂いてありがたい限りです。
よろしければご笑覧ください。
それでは、また明日。
平成25年01月01日 火曜日号
“元旦”
新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
新しい年のはじまりは、すがすがしく背筋がピンとします。
元旦には今年の目標も立ててみたいものです。
というようなのんびりした事も東京スタッフはしていられません。
東京店は本日から営業しております。
もしお時間がございましたら是非お運びくださいませ。
東京店スタッフ一同お待ちしております。
ここで一つお知らせがあります。
今年の2月末をもちまして、SOU・SOU東京店を閉店致します。
同じく2月下旬(詳しくは未定)にSOU・SOU選青山店も閉店致します。
そして3月4日に2店舗を合体させたお店を青山にグランドオープン致します。
今回は路面店です。
今までよりも満足して頂けるお店を作りたいと思っています。
ご期待下さい。
残された2ヶ月の間に是非見納めにお越し下さいませ。
宜しくお願い致します。
それでは、また明日。
- コメント
-
私のSOU・SOUさんとの出会いは、東京店でした。
今ではほとんど行けないのですが、岡部店長には今でもお葉書をいただいています。出会いをありがとうございます。終わりは始まりでもあるんですね。また、新しいSOU・SOUさんを楽しみにしています。
コメント有難う御座います。10年の節目でヴィーナスフォートを卒業します。次は路面店なので商業施設とはまた違ったサービスも出来るかと思います。機会が御座いましたら最新のSOU・SOUへもお運び下さいませ。
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アッ!お弁当が・・・なかったのですね、今回は。
浴衣に似合う帽子、難しいですね?、商品化しようか?という、青いのはいいですね。瓦版の人がかぶってたようなイメージかな? 娘もおもしろがると思います。最近娘とゆっくり会ってないので、また、”かんとうい”の講評も二人でさせていだだきますね。
今年もSOU・SOUを応援します!
弁当が無かったんですよ?。浴衣に似合う帽子よりもあの弁当が見たかったんですよ?。(ウソ)