平成24年11月10日 土曜日号
“堀淵さん(4)”
今回の旅の大きな目的の一つが、このヌーラーニ。
堀淵さんは、最近インドカレーにハマっておられるとのこと。
それならば、この男に登場してもらわなければなるまいと、インドカレーディレクター ちゅぢゅきさんも同席のカレー会となった。
堀淵さんがメニューを見ると「そんなことする必要ないよ」とちゅぢゅきさん。
物語はすでに始まっているのだ。
「私に任せておけばいいのだ。サンフランシスコからの客人用スペシャルコースを用意させたのだから」
「ちゅぢゅきさん、ゴイスー」と飯干さん
「堀淵さん、今回は全てあの男に任せておきましょう」
(特別メニューの写真は割愛)
しかし、飯干さんが「東京においしいインドカレーのお店がありますよ」と言うと、すかさず(秘)インドカレーノートに記入することをわすれない。
こちらが料理人のヌー様
インドカレーディレクター ちゅぢゅきさん
とにかくこの男のインドカレー好きには敬服する。
インドカレーに何の興味もなかった僕が、この男のカレートーク、メニューディレクションの洗礼を受けると、どんどんハマっていく。そして楽しい。
彼は相手が喜びそうな料理をメニューから選び、自分でも考え、料理長に作らせ、実際そのメニューを食べ(もちろんお金を払って)、そしてちょっと違うなと思えば、また翌日に来て他のメニューを食べ・・・そんな事が無償で楽しみながら出来るのは、本当にインドカレーが好きで、人に楽しんでもらいたいという気持ちがあるからだ。
仮にお金をもらったって出来ることではない。
僕は、どんなじり貧の業界でも、この男のような人材がいれば必ず救われると思う。自身が楽しみ、人を楽しませ、その輪が広がってゆく。
「好き」というのは何事にも変えられないエネルギーがあり、同時に豊かな人生を送るためにも必要不可欠なものだと思った。
SOU・SOUにもちゅぢゅきさんみたいな人を集められたら世界中で大ブレイク間違いなしだ。
ガンバロウ。
というわけで、本日23時30分?放送の「東京カワイイ★TV」にチラッと出る予定です。
本当に一瞬かと思いますが、よろしければご覧ください。
それでは、また明日。
平成24年11月09日 金曜日号
平成24年11月08日 木曜日号
“一汁一菜の器プロジェクト”
京都高島屋4階の特設会場にて開催中です。
SOU・SOUオリジナルの袋に入っています。
お好きなのを選んでいただけます。
高島屋別注の箸袋もあります。
これ気に入りました。
平日にも関わらず、結構お客様がおられました。
13日(火)までの開催です。
よろしければお運びくださいませ。
ちなみに7階ではバーナード・リーチ展をやっています。
それでは、また明日。
平成24年11月07日 水曜日号
“堀淵さん(2)”
その後世界が尊敬する日本人100分の1と一緒に向かったのは、世界遺産から徒歩5分のカレーマニアが経営する、コーヒーマニアがうなるコーヒーショップ、 アディー下鴨1Fカフェ・○ェルディ。
何にしようかなー
見つめる主(あるじ)
オーダーを取りに来て、オススメを語る主(あるじ)
「かしこまりました」
カレーマニアの背中を撮る、世界が尊敬する日本人100分の1
「あちらで焙煎豆をハンドピック中です」と説明するのはカレーマニア夫人
コーヒーを確認する二人。「うめー!」
ちなみに左におられるのは、超記憶術を持つ飯干さん
「これもうめーな。シナモントースト」
ガブ
「私のコーヒーが飲みたくなったら、いつでもお越しくださいませよ」と主(あるじ)
「また来るよ!サンフランシスコから」と100分の1
次にむかったのはここ
BASE by ELEPHANT
後日に続きます。
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平成24年11月06日 火曜日号
“堀淵さん(1)”
サンフランシスコより「世界が尊敬する日本人100」のうちの一人が入洛。
ここは世界遺産の下鴨神社。
まずは御参り。
次の目的へ。
ジブリの企画展。12月16日(日)まで開催されています。
そして、もう一つの目的は
あった。
献灯させていただきました。
それでは、また明日。
平成24年11月05日 月曜日号
“中島大祥堂 創業100周年記念式典”
きれいな空
向かったのはリーガロイヤルホテル大阪
ロビーにあった京和傘。日吉屋さんかな?
目的は(株)中島大祥堂 創業100周年記念式典
会場に入ろうとして、その豪華さにちょっとおののく
入ると全員に挨拶されて、さらにおののく
なんとなく、女性の方達の服装とメイクがちょっと古めかしい感じがした
となりには、ネットショップでお世話になっているPPNRの岩崎さんがいてくれて助かった
反対側には中島大祥堂の藤本さんもいてくれて助かった
中島大祥堂の社員さん達の太鼓の演目
かなり練習されたのだろう
しかし、すごい人数だった
中島大祥堂の100年をまとめたVTRが流された
社長の中島さん。確か僕と同い年くらいだったと思いますが、貫禄たっぷりでした。
そして、創業100周年を記念して新ブランド「中島大祥堂」もデビュー。
今後、さらにいろんなお菓子が登場する予定です。
SOU・SOUでパッケージその他の監修をさせて頂いております。
どうぞよろしくお願い致します。
それでは、また明日。
平成24年11月04日 日曜日号
“SOU・SOUへの道(29)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
次に見つけたのは、埼玉県行田市のまるそう産業さんだった。
この地域は、全盛期は年間400万足以上を生産していた手縫い地下足袋の一大産地だった。
埼玉の商工会議所で調べてもらって、なんとか残っていた最後の一軒、まるそう産業さんを見つけたのだった。
初めて工場に電話をした時に「京都から電車賃かけてわざわざ来て、採算は合うのか?」と聞かれた。会長の小沢さんだった。
採算が合うかどうかはわからないが、行ってみない事には始まらない。とりあえず埼玉県行田市へ向かった。
なるほど、工場も働いている職人さん達も雰囲気があって、良い感じだった。
手縫い地下足袋というのは、ゴムソールとアッパーの足袋を手で縫いつけるところがポイント。
ゴムを針で通すのがとても硬くて「若い人に頼んでも2週間ももたないよ」とおばあちゃん職人がおっしゃっていた。
内側に付いている虎のプリントは、近くにある宝登山で安全祈願をしている証し。
「この仕事が無事に終わりますように」と地下足袋に祈願するのだ。
つまりお守り付きのスーパーシューズというわけだ。こんな履物は世界中探してもあるまい。
この手縫い地下足袋は、履き心地の良さから本場とび職の愛好家もいたらしいが、ソールを手縫いしているということから普段履きとしては雨の時水が沁みるという弱点があった。
SOU・SOUだけでコンスタントに月間500足以上を毎月職出し出来れば防げたかもしれないが、残念なことに当時それは実現できなかった。
5年前にゴムソール屋さんが廃業されたため、地下足袋を生産することが出来なくなり、連鎖的にまるそう産業さんも廃業されてしまったのだ。
これで行田市の手縫い地下足袋歴史が終わってしまった。
「手縫い地下足袋の灯火は消さない」と小沢会長がおっしゃっていたのが思い出される。
(つづく)
写真は、かばん屋の川本さん
特に画像加工はしていません。
それでは、また明日。
平成24年11月03日 土曜日号
“SOU・SOUへの道(28)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
地下足袋は国産であるべき。そう思い続けて工場を探していたところ、ある会社の紹介で高砂産業さんに出会うことができた。
高砂産業さんとの最初の打ち合わせのときに、僕は15分くらい遅刻をしてしまった。
そのせいかどうかは知らないが、加古社長はニコリともせず不機嫌そうな面持ちで、終始重い空気が流れていた。
20柄以上の加工書を見せて、表地裏地の柄合わせの指示や今後のビジネス展開等を話したが、「ウチでは出来ひんな」と一蹴された。
こりゃあかん!と思い、とりあえず柄合わせのない無地扱いのものだけを机の上に残し、その他の加工書、生地を見えないところに下げた。
「どのように裁断して頂いてもOKです、これなら大丈夫ですよね」と言って、何とか考え直してもらえた。
まーこれが現実だと思った。どこの馬の骨かわからん初対面の男に、地下足袋についてあーしろ、こーしろ言われて、はいそうですかとはなかなかならない。
それに一回きりのオーダーで終わりだろうと思われていたのだから、なおさらだ。
しかしながら、結果的にこのとき加古社長がオーダーを受けてくださったことが次に繋がっていったことは事実だ。本当に感謝しなければいけない。
地下足袋に関しては立ち上げから数年に渡り、生産を一人で担当してくれた畑中という女性スタッフがいた。どんくさいところもあったが、人情があってとてもいいヤツだった。
仕事面では僕とよく口論になったが、本当によく耐え、がんばってくれた。彼女無しでは今はないと思っている。
彼女は3年前料理人のもとに嫁いだ。小料理屋の女将兼、母親としていそがしい毎日を送っているはず。
大変だとは思いますが、持ち前の明るさでがんばってほしい。
写真は男帯日本一の織元、西村織物の西村さん
最近は着物で登場されています。さすが。
それでは、また明日。
平成24年11月02日 金曜日号
“掲載情報”
制服を作らせて頂いた但馬屋さんが「北近畿経済新聞」に掲載されたそうです。
地方紙とは言え、ユニフォームを変えたことが記事になるなんてすごいな。
城崎の男衆は、本当におもしろい人たちが多い。
今では傾衣もなんなく着こなされている。
最初に試着されたときの戸惑いはもう微塵も感じられない。
日本一浴衣が似合う街と言われる城崎温泉でSOU・SOUが広まっていくのはとても嬉しいことだと思っています。
一方こちらはまり木綿。
ちょっと前のものですが、「NAGOYA PALETTE」の表紙を飾っています。
あとはCDデビューするだけだな。
歌って踊って絞れるガールズユニット、まり木綿。
来年の有松絞りまつりでデビューします。(ウソ)
それでは、また明日。
平成24年11月01日 木曜日号
“なんでもない事”
来年のプロジェクトに向けて、ちょっと柄を考え中
まだ内緒
打ち合わせにきた山本
僕のすぐ後ろは荒武
netshopの商品アップをせっせとやっている
仕事しすぎで目がいっちゃってる下岡
金乱倶楽部部長は結膜炎
でもウィンクしている
僕の目の前には、いつも松下幸之助の立志
生地の都合で風靡下が中止に
田端さんのサンプル
もはや絞り業界でもっともいそがしい男だと断言できよう
何気ない中古の椅子にSO-SU-U
パターンがどっさり
ハギレもどっさり
しつらいの間にて大大大好評発売中。毎週金曜日入荷です。
この駄話をアップしてくれているのはハッサン
事務所の何気ない風景でした。
それでは、また明日。
平成24年10月31日 水曜日号
“スカイプミーティング”
SOU・SOUサンフランシスコ店にはテノの姉が働いている。生き別れになった姉だ。(ウソ)
ウソと書かないと本当に信じる人がいる。ご覧のとおり、それくらい二人は似ている。
とにかく美人で、サンフランシスコに住む日本人女性でNo.1だ。ご存知、小森さん。
今日は小森さんとスカイプでミーティング。画面右下には僕とヤテが映っている。
向こうに見えている画面だ。
テレビ電話で話しているうちに
ヤテのアイデアで鼻をいじってみた
気づいているようで気づいていない
2本にしてみる
気づいたか
よけたっ
やはり気づいていない
でもよけるので追いかけた
サンフランシスコ店の小森さんは、とても美人でユーモアのある人です。
こんなことをされても全然怒る人ではないのです。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、また明日。
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。。。。。。。。
今度帰国した時にスカイプのカメラぶっ壊させていただきます。。
>>とても美人でユーモアのある人です。
全然、全く、何のフォローにもなってません!!(怒)
小森
わざわざ怒ってるフリのコメントありがとうございます!
おいそがしいのにコメント有難うございます。小森さんは美人です。
まったく,良い年した大人の男が,何やってるんすかね?(笑)ウチの高校生の息子が友人と学校の放送室を、昼の放送時毎日占拠して,自分たちの好きな曲だけをかけて嬉々としてるというのと,大差ありませんね?(失礼)息子は,ITオタクなので矢寺2号ですかね? レベル違い過ぎですけど・・・
小森さん,カメラ壊すときは,お手伝いしますよ?(笑)
もう、メチャクチャ笑ってしまいました!!
(小森さん、ゴメンなさい。)
矢寺さんのアイディア???怪しい・・・
若林さんの{単独犯行}では??
小森さん!!是非、ぶっ壊したカメラの画像をUPして下さ?い☆(笑)
尾張屋リリーさま
コメントありがとうございます。上記2人のしれーっとしたコメントがさらに怒りに火を注いでおります。息子さん、せっかくのITスキルをこんな低レベルのイタズラに使っていたらもったいないですよ!カメラ一緒に壊しましょう!
Emirinさま
こんな事で楽しんで頂けましたら本望です。。私は真面目に仕事の報告をしているのに。。。どうもミーティング中に若林ボスが上の空状態の時は要注意です。これから隠し撮りされないよう何か策を考えマス。(小森)
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平成24年10月30日 火曜日号
“SOU・SOUへの道(28)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
そう言えば、最初丸五さんで地下足袋を作った時のこと。
地下足袋を発注したのはいいけれど、実は会社には倉庫がなかった。
確か2300足ほどオーダーしていたにも関わらず、それを置くスペースのことは何も考えていなかった。というか、多少考えてはいたけれど、いくら考えても答えは見つからなかったのだ。
仕方がないので、なんとか店のストックスペース、店内、事務所内の置けるところにすべて置いた。
東京店からの業務日報には「こんなに地下足袋が送られてきて売れるのでしょうか」と書かれてあった。「やかましい!売るんじゃ!」と思って、バンバン送った。
そんなある日、当時僕がテナントを借りていながらも経営の一切を任せてていたお店があった。しかしその店長が店を辞めるといってきた。
急遽店が空くことになった。仕方がないからそこに地下足袋だけを並べてお店をやってみることにした。お金も時間もかけられないから店内は一切何も手を加えず、店先にかける旗だけ作って「SOU・SOU足袋」とした。
その時はまだ会社の売り上げの柱となっていた洋服のセレクトショップ事業の店頭スタッフだった中岡(現・足袋屋店長)に「キミ、明日から足袋屋やってくれるか」と頼んだら「ハイ」と言ったので、SOU・SOU足袋店長にした。
また、teems design+moonbalanceの事務所でグラフィック担当だった岩崎も、急遽足袋屋スタッフにした。グラフィックの仕事なんて、実は全然なかったのだった。でも、彼女も快く引き受けてくれた。
当時行き当たりばったりで行った人事に文句も言わず付いてきてくれたスタッフには感謝している。
そして、このドタバタ劇が、SOU・SOUの足袋部門を独立させるきっかけにもなった。
この後、SOU・SOU伊勢木綿、SOU・SOU作務衣等、商品カテゴリーごとに店舗を展開していくことになる。
(つづく)
写真は口をパクパクさせてカレーを食べる荒武
それでは、また明日。
平成24年10月29日 月曜日号
平成24年10月28日 日曜日号
“にっぽんと遊ぼう”
今年も行って参りました。今年は西本願寺。
会場は有名人やアッパーな感じの大人の人がいっぱい
タカミの社員さんはカワイイ人ばかり
今回は、ゴダイゴのミッキー吉野、スティーブ・フォックスが出演されていました。
僕はゴダイゴファンだったので、なつかしうれしかったです。
それでは、また明日。
平成24年10月27日 土曜日号
“京都産業まつり”
本日27日(土)と明日28日(日)みやこめっせにて京都産業まつりが開催されます。
「第1回創造的文化産業モデル企業」として選ばれた企業ブースにSOU・SOUも出展しています。
(商品の展示のみで販売はございません)
お隣は一澤信三郎帆布さんでした。
いつもお世話になっている大東寝具さんも
山本の古巣、千總さんも
SOU・SOUの店舗で使用しているお香の松栄堂さん
今年コラボさせて頂いた日吉屋さん
辻村さんが店舗設計をされているマールブランシュさん
大人気「茶の菓」ですね
皆さん京都を代表する会社さんばかりで恐縮です。
京都企業の未来に向けた取組が紹介されたり、子供向けの体験コーナーや物販があったりと、いろいろ見所の多いイベントのようです。
よろしければ是非お運びくださいませ。(入場無料)
それでは、また明日。
平成24年10月26日 金曜日号
“SOU・SOUへの道(27)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
SOU・SOUを始めてからは、いろいろな日本のコト、モノに興味を持ち始めた。
昔の人の美意識ってすごいなーと感心することがとても多かった。
ある日何かのときにサンプルとして買っておいたいわゆる黒い地下足袋を倉庫で見つけてまじまじと眺めていた。
「これって本当はとてもいいモノなんじゃないか」と漠然と思った。理由は、機能性、世界に類を見ない独特のデザイン性、そして伝統性が兼ね備わっていることだった。
また、日本人は地下足袋をファッションアイテムとして認めていないのに、外国人はオシャレな人ほど地下足袋を見て”クール”と言うところも面白い。
「これはイケるな。」直感的にそう思った。我々日本人は地下足袋に対して偏見を持っているだけだと思ったのだ。
さっそく地下足袋メーカーを探した。力王、丸五、月星(現ムーンスター)・・・。大手と言われる会社の名前が出てくる。
しかし、問い合わせてみるとどこも中国製だった。国産にする意味などどこにもないという感じだ。
とりあえず、岡山の丸五さんにお邪魔して話を聞くことにした。
藤木さんと大谷さんがいろいろと話を聞かせてくださった。昭和40年代、力王さんを皮切りに皆中国へ生産拠点を移していったそう。話を聞いてるとそれが良いとか悪いとかではなく、時代の流れだったのだと思った。
仕方がないので、丸五さんにお願いしてとりあえず中国製でオリジナル地下足袋の生産をスタートすることにした。SOU・SOU足袋の始まりだ。
地下足袋の柄はSO-SU-UとHA-KOの2柄各白黒。デザインは、先の割れたものと先が丸いものの2型作った。
なかなか良い仕上がりだった。
これらの1stモデルはそれほど売れたわけではないが、柄数を増やしてカラフルにすれば絶対にもっと売れるはずだと確信した。
SOU・SOU×丸五足袋を発売しながらも、実は国産工場をずーっと探し続けていた。
この先きっと海外へも売っていくことになる。その時「日本の伝統的な履物です」といいながら中国製では、外国の人に「なんで?」と言われるに決まっている。
国内では誰もそんな事言っていなかったが、それは皆が地下足袋に興味がないからだと思った。
例えばヴィンテージ市場では(アメリカ人は誰もそんな事は言わないが)リーバイスやナイキはアメリカ製がいいと言う日本人はいっぱいいるし、ロレックスはスイスメイドがいいと言うだろう。
当時、プラダが中国生産をスタートするという事がニュースにもなっていた。まーそれくらい日本人はブランドやプロダクトの生産国に対して、実はこだわっているのだ。
僕は別に何が中国製でもかまわない。
ただ、日本の伝統的なもの、例えば着物、扇子、足袋みたいなものは国産、それも伝統的な産地で作る方が良いものが出来て本物だと思っている。
でも、へったくそなくせに「日本製」と打ち出すくらいなら、上手な中国製の方がマシだとも思う。
まーそんな訳でいろいろあたっているうちに国産地下足袋工場、まるそう産業、高砂産業に出会うことになる。
(つづく)
写真は(秘)インドカレーノートを見ているちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。
平成24年10月25日 木曜日号
“取材”
京都商工会議所が策定する「クリエイティブ産業モデル企業選定事業30社」に選ばれたおかげで、京都新聞に載せていただけるとのこと。
その取材をして頂きました。
そして、とうとう京都商工会議所の会員になることにしました。
まーこんだけ今までお世話になって実は非会員だったとは誠に失礼な話ですけど、基本的に僕はどこの協会・団体にも属したくないのです。
それでは、また明日。
平成24年10月24日 水曜日号
平成24年10月23日 火曜日号
“オークション”
先日行われた第2回東日本大震災復興支援チャリティアートカバンオークション。
SOU・SOUのものも無事落札されたそうです。(写真はヤテラ撮影)
前の女性が手を挙げてくださっている
すごくピシッと挙げておられます。
しかし、最後はこちらの方が落札してくださったそうです。
なんと7万円。すご。
オオトリはキーヤンだったそうです。
落札してくださった方には末永くお使いいただきたいですね。
信三郎帆布謹製のカバンなので、一生使えるはずです。
関係者の皆様、この度はこの様な会を与えてくださいまして本当にありがとうございます。
それでは、また明日。
平成24年10月22日 月曜日号
“宣伝”
身内のことで大変恐縮ですが、僕には美容師の姉がおります。
スタジオV、オペラ、改名後アクアというサロンを経て独立し、長年恵比寿でmeuxというサロンをやっていましたが、最近代官山に移転し、店名も新たにTAOとしてオープンしました。
外観
店内
オリジナルのシャンプーの開発をしていて、近々ネットでも販売するみたい
ヘアサロンとカフェが合体しているお店でした。
閉店時間を過ぎていたのでコーヒーだけ出してもらいました。
これはこれでおいしかったのですが、もっと美味いコーヒーをということでちゅぢゅきさんのコーヒーを出すことになりました。
東京の皆さん、カット・パーマはせずとも、食事はせずとも、コーヒーだけでも一度お試しくださいませ。京都から豆を直送してもらっていますので。
身内の宣伝でスミマセンでした。
それでは、また明日。
私自身、コーヒー大好きなので、このお店、むちゃくちゃ興味があります。今調べたら、京都市にあるみたいなので、京都に行った際には、必ず立ちよります★ とりあえず、安いコーヒーでも飲むことにします(汗)
機会があれば是非お運び下さい!