一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(36)”
伊勢木綿はややこしかった。
思うように染まらない。
初めに50反染めたら、内35反がB反になるという状態だった。
そして生地も織りキズがとても多い。さらに生地の横糸が斜行している等々。
現在流通している生地をベースに考えると問題だらけだった。
しかし、ある時気がついた。これが伊勢木綿だ。
主人の臼井さんも昔から何も変わらずただ織っているだけ。
機械は、トヨタも欲しがる100年前のトヨタ式織機。
伊勢木綿を現代の基準に引き上げようとするのではなく、そのままを現代でどう生かすかが大切なのだと思った。
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ
幸い染め工場さんの努力もあり、染色については半年後くらいに概ね上手くいくようになっていた。
織りに関しての問題は存在しないことにした。
100年前の織機は、現役で動いていることがある意味奇跡だ。
(ただ、キズが出たらその分だけ赤伝は切らせてもらうのだが。)
多少のキズは、ご飯でいうところのおこげだと思うことにしてみた。
その頃の臼井さんの悩みは、売上げ、後継者、機械の老朽化等いろいろあったと思うが、その理由の一つに(ひょっとしたら今は多少変わっているかもしれないが)伊勢木綿の知名度の低さというのが考えられた。
確かに伊勢木綿は僕も知らなかったし、周りの人も誰も知らなかった。
臼井さんの話によると、地元の人も知らないのだという。(極端な話、町内の人ですら知らないらしい)
いくら良いものを作っても、誰も知らなければ残っていけない・・・。
SOU・SOU伊勢木綿という店名は、そういうことから名づけました。
店名にしてしまえば、いろんなメディアの取材を受けた時に「伊勢木綿」という名前が表に出る。
たとえショップ紹介だけの小さな記事でも、伊勢木綿という文字が表記される。
そうやって少しづつでも啓蒙活動するしかないなと思ったのだ。
写真は、当時山田節子さんに頂いた本の1ページ
「現代との出会いを待っている伝統の技」
僕には「SOU・SOUとの出会いを待っていた伝統の技」と読めた。
それでは、また明日。
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