一日一駄話 / SOU・SOUプロデューサー若林剛之によるたわいもない事
“SOU・SOUへの道(18)”
※これまでの「SOU・SOUへの道」はコチラ。
GASPはアメリカやヨーロッパからレアモノを直接買い付けするスタイルのお店で、当時京都ではめずらしかった。
でも、しばらくすると同じような品揃えの店も出来てくる。まー誰でも出来る商売だ。外国に行って品物買ってくるだけだから。
それにしても、同じ京都で商品がバッティングして価格競争になっていくのは嫌だなと思っていた。
ちょうどその頃、原宿の人気SHOPのオリジナルブランドがブームになり始めていた。DCブランドにはないインディーズ感とエネルギーは、今までにない感じがしておもしろいなーと思った。
外国の流行モノをいち早く買い付けるという仕事に少し疑問を感じていた頃だったので、2店舗目はドメスティックブランドを中心としたラインナップにした。
取引していたドメスティックブランドは皆、同じ京都内では他店と取り引きしないというスタンスだった。計らずもバッティングの問題が解消された。
その後、ドメスティックブランドは、時流に乗って”裏原宿系”というジャンルが出来るほどブームになり、売上げもどんどん伸びていった。
一方その頃、僕は自宅の建て替えを考えていた。当時の自宅はあまりにボロくて、土壁が崩れそうな勢いだったのだ。
でも、たまたま見てもらった占いの人に「今はダメ!1年半待ちなさい」と言われてしまい、しぶしぶながらその言葉に従った。
1年半待って漸く「よーし、そろそろどんな家にするかを考えるぞ!」と思い、まず本屋に行った。(その頃はまだネットなど普及していなかった)
そこである1冊のインテリア雑誌を見つけた。「I'm Home」創刊号。
とりあえず買って家で読んでみた。デザイナー一覧を見ていたら、1人だけ京都在住の人がいた。
辻村久信。代表作品「Ricordi」。
Ricordiは、当時よく行っていた祇園のイタリアンレストランだった。とてもかっこよくて話題の店だった。
「あの店を作った人が京都にいるのか!」
ちょっと驚きつつも次の日にアポなしで辻村久信デザイン事務所に出向いた。
(つづく)
写真はカレーを待っているルンルンのちゅぢゅきさん。
それでは、また明日。