SOU・SOU日記 / スタッフがお届けする日記
“オリンピック並み”
・・に、珍しい事がありました。
極、私的珍事ではございますが
フレンチ。(家飯です)
素材それぞれの仕込みが活きていて、旨いです。
味覚がシャキッと目覚めて行く感じの前菜。
コックをやってる兄弟にご馳走になりました。
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【酒の肴の話】
・日本でフランス料理をやる=どう言う事なのか?
・海外文化に携わる、即ちアイデンディティの提出を迫られる
?その中での「良い仕事」とは何か?
・例えば、村上春樹の仕事(著書・訳書)を総じて、
優れた海外文化の日本語訳だ、と仮定するなら目指すのはそこか否か?
・職人(美術)と
アーティスト(芸術・・この翻訳がそもそも「誤訳」との説アリ)との差異は?
・そもそも型破り=新しい型の創出、
と言うのは職人の圏内での言語であって、
想定外の圏外からの価値観なども含め、拾い上げるのがアートの本分なのか?
.一方で、日本料理などの伝統的なものに携わる人の
マインドは既に乗っ取られていて、
それ故に伝統の縛りに雁字搦めになった場所から、
エスケープ(脱出)した先が、
西洋的な文脈の中に一席を得ようとする行為になりがちです。
良く使われる逃げ口上は「時代に合わせて。」
=同時にSOU・SOUの自己矛盾点とも言え、
今後の課題は『型ごと和装になる』道のりを
どう舗装して行くか?に尽きる訳です。
(つまり、現時点のSOU・SOU=「日本の洋服屋」と呼ぶ方が正しいと、考えます。)
その工程での振る舞い方が、結論を左右するのは言うまでもないのですが
最早かつての「型破り」=現代の「型通り(転向が常識化している)」である時代に
職人が「新しい型作り」に目が向くのは至極当然の成り行きです。
「新しい時代を用意する型」を見つけ出すのに躍起になる理由は、
型通りに生きたい(凡人の時代の思考/被管理社会への従属)欲求所以か、
自分の好みの型を選択しているつもり?なのかは分かりません。
ただ、いつの時代にも天邪鬼はいて
それらを見越して「新しい型破り」を探し出す奴が必ずいる筈で
そういう人間が「面白い奴」で、いつの時代も少数派なんだろうな。等々
この文章を発見された方がおられたら、御礼申し上げます。
あまり、真に受けすぎず(苦笑)
一つの「思考するきっかけ」にでもして頂ければ幸いです。
(ちなみに自分の立ち位置としては、正しく無宗教(非所属)であろうとする誠実さのみに
おいてのみ思考の立脚点としております。穴だらけだと思いますが。)
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触ると片っ端からややこしくなるトピックだらけで
話は尽きず。
オリンピック中継横目に
数年に一度の(?)ご馳走様でした。