ブランケットに「ぬくたちゃん」と名前をつけて幼い頃から持ち続けている友達がいる。
物心ついた時には既に側に居たそうで、大人になった今でも、その「ぬくたちゃん」に触れていると
どんな辛い事があっても安心するようだ。伴侶は気持ち悪がって捨てようとするが、彼の逆鱗に触れ
離婚騒動まで引き起こした事もある。呪物崇拝を語源に持つフェティシズム(fetishism)の一種と
言ってしまうにはいささか度を過ぎているような気もするが、何か心の支えを持っている事はある意味
うらやましくもある。もちろん、僕には彼の持っているような「ぬくたちゃん」はないし、
その感覚というのは厳密に解らない。しかし、優しいものや柔らかいものに触れた時とても幸せな
気持ちになる感覚というのは解る。
深喜毛織のベビーキャッシュに初めて触れたとき、今まで経験した事のない柔らかさににまず驚かされる。
同じ生き物と触れ合うようなシンパシー。次に暖かな空気、そう暖かな空気を纏っているような、
そこにはモノそのものの存在感を忘れてしまい、暖かい空気だけがあるような錯覚さえ起こさせる
不思議な力がある。子やぎの毛だけを選別し、確かな日本の技術で織り上げた逸品は、
まるで「優しさの象徴」であるかの様に触れる事で幸せを感じる事ができる。もはや深喜毛織の
ベビーキャッシュは今迄のカシミヤというカテゴリーを超えた新しいものである。
手に取って、肩にかけて、身体に巻き付けて・・・これは、僕にとっての「ぬくたちゃん」
に成り得るものではないのか?と思っている。 |